いかにもテレビっぽいのが、50代テレビ局報道部ディレクターだ。
「弁当はスタジオに持ち帰ってまず見せる。必要とあらばMC、コメンテーターに食べてもらって感想をいってもらう」
自分ではなく他人に食わせるという発想が面白い。また、かつて清原被告の私生活を撮るために自宅前などを張った経験がある40代男性写真週刊誌編集者は、こう語る。
「食べます。他媒体は食べないだろうから。どこの誰がどういう経緯で作ったもので、味はどうなのか?知りたい読者は必ずいるはずです。また、焼き肉弁当というのがミソで、清原といえば焼き肉人脈で知られていますから、支援者につながる可能性もあります。取材後や取材中に差し出されたのならば考えますが、そうではなく、かつ、焼き肉弁当だったから、私ならば食べてリポートします」
本サイトでも大人力コラムニストとして活躍している石原壮一郎さんも「食べる」派だ。
「せっかく差し入れしてくれたのに、食べないと相手にも弁当にも失礼です。罪を憎んで弁当を憎まず。そして何より、いいネタになるから。何にでも貪欲に食らいつくのが物書きの矜持では。ありがたくいただいた上で、同額程度のお返しを考えるのが大人のマナーだと思います」
続いて「供応批判」について。
「そもそも清原の張り込みをしている時点で、芸能スキャンダルの色が濃い『野次馬取材』なわけですよね。もちろん、メディアにとって『野次馬』になることはとても大事です。だけど、そういう取材なのに、ジャーナリズムとしてのケジメ、みたいなことを言われても、ちゃんちゃらおかしいとしか思えません」
私自身どうかいえば、やっぱり食べて原稿にする。その場にいる報道陣全員に公然と配られたものなので「供応」とまではいえないと思う。ネガティブな取材を仕掛けている刑事被告人からの差し入れに若干後ろめたさを感じつつ、「シャブ中・清原が差し入れた弁当の『中味』」というタイトルを頭に浮かべながらその蓋を開けるだろう。