『いただきます』開始当初、小堺は『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(テレビ朝日系)で関根勤と一緒に、“クロコ”と“グレコ”役を演じるなど、まだ若手コメディアンという立ち位置にいた。その時に巡ってきた帯番組司会という大チャンスに張り切った小堺は、“おばさま方”を生かすのではなく、自分ばかりが喋ってしまっていたと『ごきげんよう』内などでよく述懐している。
『いただきます』開始当時、同じ事務所の先輩である萩本欽一や『NTV紅白歌のベストテン』(日本テレビ系)で親交のあった堺正章に、「なんでアイツ1人で喋ってるの? おばさんがあんなに面白いこと言っているのに聞いていない」と言われ、それまでのやり方を改めた。120%の力で喋っていたのを70%に落とし、“おばさま方”の話に耳を傾けるようになったという。すると、視聴率もグングン上昇。人気番組のひとつになり、同枠で31年半も司会を務めることとなった。
「『笑っていいとも!』(フジテレビ系)と同じ年数続いた芸能史に残る名番組を作り上げた。前に出過ぎない、人を立てるという小堺一機のスタイルは評価されてしかるべきでしょう」(同前)