垣内:実はうちの事務所は、ヘアメイクなどが自分持ちなので、初めは会社に借金して衣装を買っていました。最大150万円くらい借りたので、「売れなかったら、どうやって返したらいいんだろう」って、18才の私は心配でした。
――それが実って、最盛期は月収500万円。
垣内:借金が返せてよかった(笑い)。この時が一番寝る時間がなかったです。2枚目のアルバムの頃ですね。
――実家の大阪から東京に出たことでの苦労は?
垣内:うーん……。事務所が厳しくて、10代でデビューして、東京に出てないんですよ。初めは実家から大阪の事務所に通っていたりして。レコーディングも撮影も大阪だし、プロモーションビデオも大阪で、いつ海外とか行けるんだろうとか思いながら。
『ミュージックステーション』とかテレビの仕事が入ったら、ボードに、“愛内東京出張”と書かれて、それで出張行ってきますってテレビの撮影して、雑誌の取材受けて、レコーディングのために大阪に戻っていたので。だから、あまり環境が変わらなかったんです。大阪には家族もいたし友達もいたので。
――昨年9月に歌手活動を再開しました。なぜ、“垣内りか”に改名したのですか?
垣内:わんちゃんに関するトークイベントをしていたのですが、“愛内里菜”と広告に打つと、「なんで歌わないの?」という苦情に変わってきたんです。歌で締めるんじゃないかと、期待してくだって、残念な気持ちにさせてしまったようで。
それだったら、ペットのことは垣内りか、愛内の歌を歌うときは愛内里菜、線を引いた方が、皆さんもちゃんとわかりやすいんじゃないかなって。自分自身も切りかえられますし。それで2013年に改名しました。
本名は、“垣内りかこ”なんですけど、“垣内りか”の方が、愛内里菜と響きが似てるかなって(笑い)。
――復帰では“垣内りか”で歌っていましたが、歌は“愛内里菜”担当では?