もう一つ、彼女の出演中に忘れられない出来事となったのは、“卒業”前にTBSから内定が出たことだ。アナウンサーを目指していた小林麻耶は在京局のアナウンス試験を掛け持ちしており、条件面や早い時点で内定を出したTBSに決めたのだ。
なぜそこまで知っていたかというと、当時、TBSの採用担当アナだった小島慶子から、「私、『恋のから騒ぎ』を見ていて、ああいう子(小林麻耶)がTBSに入ってくれたらいいと、ずっと思ってたんです」と連絡をもらったから。
その後も小島慶子はずいぶん小林麻耶をバックアップしてくれていた。他局のバラエティーである『恋のから騒ぎ』出演がハンデとなるかもしれないとずっと気をもんでいた小林麻耶は、内定式で号泣したと聞く。
TBS入社後は、番宣番組、料理番組、身体を張るバラエティー番組、お笑い番組、音楽番組…と、あらゆるジャンルからお声がかかり、件の明石家さんまとも、『さんまのSUPERからくりTV』で再共演を果たす。その頃、TBS局内で小林麻耶に会い、挨拶したら「え~、覚えてくれてたんですかぁ?」と、すっとんきょうな声でリアクションしてくれた。忘れるハズがないではないか。でも、それが小林麻耶なのである。
アナウンサーとしてキャリアを重ねても、“逆バンジー”をやらされたのを始め、後輩がやるべき仕事を一手に担っていた彼女が、同期の高畑百合子アナに「もう死んじゃう」と泣きついたという話も聞いたことがある。
「限界を超えて」「頑張りすぎてしまう」性格は局アナ時代からずっと変わっていなかったのである。
退社後、希望していた報道番組を担当することができ『総力報道!THE NEWS』のメインキャスターに。TBSは当時の高視聴率バラエティー番組の時間や曜日を変更=枠替えしてまで、小林麻耶のニュースに社運を賭けたのだが、視聴者の若返りを含め、大失敗。その後、同局のゴールデンタイムの視聴率がなかなか上昇しない“戦犯”としても小林麻耶の名前があげられたものだ。
その頃も激しく落ち込んだし悩んでいたという小林麻耶。それを明石家さんまから「一年“も”続いたならすごいやないか」と言われたことで「救われた」と振り返った。
とにかく、その頃とは比べものにならないほどラクなスケジュールだったにもかかわらず「過労」というのは、年齢的なものなのか、女性ならではの身体のバランスの変化か…と思っていたら妹の看病。“おばバカ”な彼女のことだから、姪っ子や甥っ子の面倒を麻央に替わってみていたことも十分考えられる。
妹も義弟も姪っ子も甥っ子も「大好きすぎる」からこそ限界を超えてしまった小林麻耶のことがとても心配だ。仲良し姉妹、共に一日も早い回復を祈るばかりである。