日テレを退社するまで3年考えたという
上田:全っ然ですよ! よく日本テレビは雇ってくれたなと思います。ビジュアルもこんなんですし、呑み込みが悪くて器用じゃないし、相当な劣等生ですから。人事の人にも入社の時に、“上田は最低5年はかかると思うから5年耐えろ、途中でやめちゃだめだぞ!”って言われたくらいなんです。でも本当にその通りで、アナウンサーとして自信を持てずに苦しかった時期も結構あったんですが、5年目くらいにちょうどやりたい仕事がみつかったり、やりたいことができるようになったりして、胸を張ってアナウンサーですと言えるようになりました。日本テレビの人事の人は本当によく見てくださってますよ。
――退社を決断するには悩んだと思いますが、何がいちばん怖かったですか?
上田:怖いことはなかったですよ。でもやめることによって、会社には絶対迷惑かけますから、その迷惑をかけてでも本当にやめる意味があるのかを一番考えました。それに3年かかりました。いや、かけました。
――3年かけただけのかいはあった?
上田:子供のころからやりたかったアナウンサーになるという夢を叶えてもらって、こんなにやりたいことをやれているのに、それを超える新しい夢を見つけてしまった。でも多分、その夢に気づいた3年前では、アナウンサーを“諦めた”とか、“逃げた”と思われたと思うんです。その時の自分は、アナウンサーという仕事は好きだったけど、大好きです!って心から言えなかったので…。だから、そこからアナウンサーという仕事に全力で向き合いましたし、向き合ったからこそ3年間ぶれずにいられました。
――新たな夢とはなんですか?
上田:“表現者”です。お芝居もやりたい、ナレーションもやりたい、ラジオでもしゃべってみたい、文章を書く仕事もしてみたい、声優も女優もやってみたい…これは全部表現の仕事だから、表現者だなと。でも、表現者と言ったところで何者?って感じもありますよね。なので、みなさんにイメージしていただきやすい肩書は何かを考えた時に、たまたまタレントだったわけなんです。
――誰かに相談をしていましたか?
上田:3年前に考え始めた時点で、両親に話をしました。親は戸惑ってましたけどね。“なんでなの?”って。
――昔からウグイス嬢をしたり、司会をしたり、表に出るようなタイプだったそうですね。アナウンサーをやめて芸能界を選ぶのも自然な気がしますが?
上田:いやいや、だって日本テレビっていうすごい素晴らしい会社を辞めるって言い出したら、普通引き留めますよ(笑い)。読者のみなさんもきっとそうだと思います。でも親は私が頑固だということをいちばんわかっているので、結局は認めてくれましたけど。父より母の方が最後まで反対してましたね。“やめるのやめたら?”って(苦笑)。それに正直言って私、いまだにテレビは慣れない。テレビに出る仕事あんまり好きじゃないんですよ(笑い)。って、これ言うとおまえ嘘つけって言われそうですけど(笑い)、たまたま自分のやりたかったことがアナウンサーで、たまたまテレビに出る仕事だっただけなんです。
もしテレビにいっぱい出たい、目立ちたい、売れたいっていう欲が先にくるようならこの仕事やめると思います。マネジャーさん、事務所のスタッフ、スタイリストさん、メイクさん、番組のスタッフさん、出演者のみなさん、そしてなんといってもファンのかたがたがいてこそ私の仕事が成り立っているんです。見てくださってるみなさまに、“この人楽しそうだから、見てると楽しい気持ちになる”って思ってもらうのがいちばんの理想です。
【上田まりえ】
1986年9月29日、鳥取県境港市生まれ。実家は元イカ釣り漁船の網元で、海に囲まれた土地で育つ。趣味は野球、特技は剣道(初段)。2009年3月、専修大学卒業後、同年4月、日本テレビにアナウンサーとして入社。2016年1月に同局を退社後、同年2月から松竹芸能所属のマルチタレントに転向した。レギュラー番組に『5時に夢中!』(TOKYO MX)、『伊集院光とらじおと』(TBSラジオ)など。
撮影■田中麻以