国家というものは自国の汚点は滅多に認めず、ましてや独裁者はその傾向が極めて強いのだから、日本側から見れば拉致という犯罪を北朝鮮の最高首脳に認めさせたことは、日本外交の金字塔であり政治家小泉純一郎の不滅の功績といえる。
これに引き替え、情けないのは日本のマスコミだ。本来このような事実を白日の下にさらすのは政治家ではなくマスコミの役割だ。最終的に事実を確定させるのは政治家であっても、いやしくも民主主義が行なわれ報道の自由が認められている国家のマスコミであるならば確たる証拠を集め、北朝鮮が認めざるを得ないような形に追い込んでいくことが本来の使命である。
しかしこう書けばおわかりのように、実はその反対をやっていたマスコミが日本には存在したのだ。「反対」というのは、いかにも北朝鮮はそんな犯罪行為はしていないように国民に印象づけるような報道である。しかも偶然ではなく明らかに故意である。
「偶然」というのは「まさか北朝鮮がそんなことをするとは思ってもいなかった」という善意からの信頼心があったので「結果的に北朝鮮に有利な報道をしてしまった」ということだが、そんなことはあり得ないことはわかっていただけるだろう。北朝鮮が「この世の楽園」でないことは、脱北者の証言などによって、どのマスコミも1970年代には思い知らされていたはずなのである。
つまり当時の日本には「北朝鮮は良い国で拉致などやっていない、そんなことを言うのは右翼の陰謀だ」と国民に錯覚させるような、明らかな故意による宣伝工作があったということなのである。