毎日新聞で伊藤祐靖の存在を知り、私は妙に惹かれた。伊藤は自分と同じ1964年生まれ。いい学校、いい会社に入ることが至上価値という標準的な生き方が苦手で、高校時代までずいぶんヤンチャをしていたらしい。私の10代もちょっとそうだった。彼は茨城でドタバタ、私は千葉でモンモン。かつて「チバラキ」という蔑称があったが、育ったエリアもそう違わない。
どこか似た者同士かもという勘が働き、会ってみたら案の定、ウマが合い、共に一冊の本を作る間柄になったのである。
伊藤祐靖は能登半島沖不審船事件の際、「みょうこう」に航海長として乗船しており、そこで何があったかを詳細に知っている。そして、ほんのついさっきまでバカ話をしていた若い下士官たちが、立入検査の命令を受け、わずか5分ほどで死を覚悟した様を見ている。伊藤は、「これは間違った命令だ」と考えていたそうだ。死を覚悟した若者たちの表情を美しいと感じつつ、「彼らは向いていない」とも思ったとのことだ。
追い詰められたら自爆確実の不審船に乗りこんで拉致被害者を救出するような任務は、「まあ、死ぬのはしょうがないとして、いかに任務を達成するか考えよう」といった人生観の持ち主に任せるべき、と伊藤は言う。彼自身そういう人間だし、自衛隊の中にも一定数そういう連中がいる。その種の者を選抜し、特別に訓練をさせて実施すべきだ、と。
そして、そのわずか2年後の2001年に、自衛隊初の「特殊部隊」である特別警備隊が誕生した。現場リーダーのような立場だった伊藤は、2007年まで特殊部隊に所属、異動の内示が出てそれを拒否、特殊戦の能力を磨くため単身ミンダナオ島に飛んだのだが、この調子だとコラムが終わらない。波乱万丈な彼の半生記は、『国のために死ねるか』で堪能していただきたい。
ただ、日本に特殊部隊がてきて以降、新たな拉致事件はおきていない。おそらく抑止力が効いたのだ。
それはそれとして、ここでは本の中に書かれていない、彼の私塾について少し触れておく。
本の完成度を上げたかったから、伊藤祐靖とは議論を重ねるだけでなく、彼の「現場」にも行かせてもらった。私塾に数回、見学者として参加。彼らは、銃の使い方から近距離での戦闘法まで、かなり高度と思われる座学を数時間、その後、実技訓練を繰り返し行っていた。
私塾の訓練は海や山でも行われるが、基本的には東京のビルの地下を拠点にしている。少し秘密基地っぽい地下室に入ると、そこはフィットネスクラブみたいに明るい。だが、すぐさま普通でないと分る。壁にたくさんのモデルガン、奥の方には射撃の的がある。リアルな人の顔の的も設置されている。
でも、そこの空気は柔らかい。伊藤祐靖がそういう人だからなのだが、参加している他者に対して、みんなすごくフラットに接する。見た目は、ヤンチャな感じの若者が主流なのだけど、体育会ではなく同好会くらいの礼儀正しさで、すごく自然体だ。