例えば佐藤氏が会いたい人物に「思い出のドロボー」がいる。被爆者の母を亡くし、教師から聞いた作家の名を頼りに上京したという15歳の少女を佐藤氏は家に泊め、数日後探しに来た教師と広島に帰るという彼女に餞別まで与えた。だが後日通帳を調べると残高はゼロ。さらに彼女が盗んだ30万円を巡って驚くべきドラマが展開する。
「私は騙されたわけですけど、面白いお話があったというだけで、騙しやがって、という怒りの感覚はないんです。私が見た彼女はドロボーの面でしたが、人間は立体的なものだから、それ以外の部分があるわけです。私はその、自分の知らない隠れている部分が知りたくなるんです。
『晩鐘』にも書きましたけど、元夫の借金の件で闇金に呼ばれた私は、ソファの上に陰毛を見つけるわけね。さてはここで受付嬢とヤッたなと思うと、もう相手がヤクザだろうが、怖くも何ともない。世界の色彩が変わるんです。陰毛はある、それを見つけることが大事で、私はその陰毛を見つける人間なんですよ(笑い)」
そんな諦念やユーモアの裏側にある数々の諦められないことや悲哀も含めて、私たちは佐藤作品に励まされてきた気がしてならない。その関係がこの作品を機に再開されるとすれば、めでたいこと、この上ない。
【プロフィール】さとう・あいこ:1923(大正12)年、作家・佐藤紅緑と元女優の母シナの間に大阪で生まれ、西宮に育つ。甲南高等女学校卒。戦後は同人誌『文藝首都』や『半世界』に参加、1969年、同人仲間で2番目の夫・田畑麦彦の事業倒産や離婚経緯を描いた『戦いすんで日が暮れて』で第61回直木賞。1979年『幸福の絵』で女流文学賞、2000年『血脈』完成により菊池寛賞、2015年『晩鐘』で紫式部文学賞。近著『役に立たない人生相談』等、エッセイの名手。153.5cm、A型。
■構成/橋本紀子 ■撮影/国府田利光
※週刊ポスト2016年9月2日号