この話の流れから、橋本氏に白羽の矢が立ったという話がされたのだ。
「半分冗談の思いつきだと思って、ぼくの名前でよければ盛り上がってちょうだい、と電話を切ったんです」
しかし、橋本氏を知事選挙に出そうという署名運動が始まり、5000人以上の署名が集まった。「そこまで言ってくれるなら」と知事選に出馬することを決意。1991年のこの選挙で初当選すると、4期(5選)の任期満了で高知県知事を退任した。
政治家として16年も活動したが、彼の異母兄である橋本龍太郎氏も政治家である。そんな兄とのエピソードは兄弟思いのいい話ばかりだ。
「最初の選挙でぼくの相手は自民党推薦の元副知事だったんです。兄貴は自民党員だったんですが、一泊二日で応援に来てくれたんです。大変な盛り上がりだったな~」
他にも、妻・孝子さんとの結婚にも兄は手を貸してくれていた。
「女房の前の旦那さんは、2人子供をつくって病気で早くに亡くなってしまったんです。そういう経緯もあり、ぼくと結婚する時に、兄貴がお袋はすぐに“うん”とは言わないだろうから、自分が話して迎え入れるようにするからと言ってくれたんです。兄貴には人生の重要なポイントでお世話になりました」
兄の尽力もあり、無事に孝子さんと結婚。今でも仲のいい夫妻で、取材を通して感じたのが、橋本氏はかなりの愛妻家であるということだ。
「女房はボケた話をして楽しませてくれるんです。去年、東京ドームでミック・ジャガーのコンサートがあったんですが、何を聞き間違えたのか、東京ドームで肉じゃがとか言って(笑い)。こういった話を講演会のつかみで、させていただいています。ぼくからしたら、橋本孝子ではなく、“ネタ元”孝子なんです(笑い)」
こう笑う橋本氏だが、その表情は愛であふれていた。
撮影/浅野剛
※女性セブン2016年9月29日・10月6日号