毎日本当に泣いていました。家族に“ごめんなさい”って気持ちでいっぱいだったし、“なんで私が、がんに?”って。“こんなに歯を食いしばって生きて来た私が、なんで?”って。
それから抗がん剤治療が始まって42才で生理もなくなりました。そこもつらかったですね。女じゃなくなったんだなって。髪の毛もないし、胸もないし、生理もないし…。
傷ものになった気がして、義母にも申し訳なくて謝りました。そしたら義母には“何言っているのよ!”と怒られて、そして抱きしめてくれました。“私だってつらいんだからね”って言ってくれて…いいお義母さんなんです。けんかもしたことないし。
私が運よく姑になれるとしたら、義母のようになりたいなって思いました。その頃まで生きていられないかもしれないけど。アハハハハ。だって上のお兄ちゃん、28才なんですけど、まだ彼女いないんですよ。だから安心して死ねないんですけどね。アハハハハ。でも、ひとり娘が嫁に行くまでは心配で死ねないと思っているんです。みんなが落ち着くまでは死ねませんよ。アハハハハ」
笑顔が印象的だった藤田さんに、記者がそう伝えると、ふと寂しそうな表情を浮かべてこう言った。
「でもね、ここに来るまでは一言では語り尽くせないほどいろんな葛藤があったんですよ。病気になられたかたは、みなさんそうだと思います」
最初に違和感を感じた24才のときに、藤田さんの胸に乳がんがあったとしたら、もう28年もの間、妊娠・出産・子育てを繰り返しながら、がんとともに生きているということになる。乳がんと宣告されてからも11年。転移もあるトリプルネガティブでも、今日も前を向いて笑っている人がここにいる。
※女性セブン2016年10月20日号