当時はまだモノクロフィルム。ある令嬢が身を落とし性的不能者の妾となって無理矢理脱がされるんだけど、最後に愛する恋人の前で自ら脱ぐシーンをカラーフィルムで撮ったんだよ。幸せの象徴としてね。当時はパッと幸せになるカラーだなんて言ってたんだけど、後に正式に“パートカラー”って名前がついて後から真似した映画が次々と出たもんだよ。
『妾』のヒットを受けて大蔵貢社長にいろんな注文をつけられながら監督やったのが映画『雌・めす・牝』。これが予算300万円で撮って何千万も儲けちゃったもんだから、その後も“お盆だから怪談のピンクを撮れ”だとか“痴漢ものを撮れ”だとか色々頼まれて、今では監督作418本ですよ。
一番忙しい時は年間7~8本のピンクを撮りつつ、テレビ映画も撮ってました。特撮ブームに乗っかってゴジラならぬ『ワゴン』っていう怪獣ものを撮ろうって脚本まで作ったのに予算不足でボツ。
元祖ポルノアイドルって言われてた原悦子を初めてピンクで撮ったのも俺だし、地方から家出してフラフラしてるところを半ば騙されたような感じで連れてこられた谷ナオミも撮った。やはりピンク映画でもスター女優を作らないとダメなんだ。
昔は低予算で撮って10日間で数千万も儲けた作品もあったんだから、大変なもんでした。そのお金はどうしたかって? 離婚した奥さんに全部あげちゃった(笑い)。俺の財産は全部消えちゃったけど、ピンク映画は今後も風俗映画として残っていくと思ってるよ。
撮影■下城英悟
※週刊ポスト2016年10月14・21日号