スポーツ

元広島カープ「あの選手は今」まとめ by NEWSポストセブン

第2の人生を歩む往年の選手を訪ねた

 2016年シーズン、広島カープが25年ぶりにリーグ優勝を飾った。現在まで多くの選手が入団し、チームを去っていったが、かつての鯉戦士たちは今、何をし、古巣の優勝に何を思うのか? 第2の人生を歩む往年の選手を訪ねた。(2016年11月26日更新)

木下富雄、長内孝は焼き鳥店オーナー

■木下富雄(1974年~1987年)

 木下富雄は、1980年の日本シリーズでは第5戦から先発起用され、優秀選手賞を受賞。「パンチョ」の愛称で親しまれ、選手、コーチとして6度の優勝を経験した。

選手、コーチとして6度の優勝を経験した木下富雄氏

二軍監督を退任後、焼き鳥チェーンの店舗オーナーに

 2005年限りで二軍監督を退任後、妻のいとこが始めた焼き鳥チェーン『カープ鳥』の店舗オーナーになった。ある時、見慣れない客が訪れた。二軍監督時代に鍛え抜いて、再生させた東出輝裕の父親だった。「今の息子があるのは、木下さんのおかげです」と感謝された。「FAせず、広島残留を決めた直後に来てくれた。二軍監督をやらせてもらって良かったなと心底思いましたね」

優勝翌日は焼き鳥全品を無料提供

 優勝翌日は焼き鳥全品とドリンクを無料提供し、最大2時間20分待ちに。「9月は特に忙しくて5キロも痩せた」と笑った。


■長内孝(1976年~1991年)

 同じく『カープ鳥』の店舗オーナーになった長内孝も、黄金時代を知る一人だ。1983年、阪急から移籍の加藤秀司を押しのけ、一塁のポジションを獲得。

広島黄金時代を知る一人、長内孝氏

1984年の日本一に貢献

 古葉監督から「3番で行くぞ。外国人取らないから」と確約された翌シーズンは不調に陥り、新人の小早川毅彦にレギュラーを奪われる。それでも、阪急との日本シリーズ第7戦、1点リードを許して迎えた6回表2死満塁の場面で、一塁線の打球にグラブを伸ばして大ファインプレー。逆転日本一を手繰り寄せた。

コーチを退任後、焼き鳥チェーンの店舗オーナーに

 12年間務めたコーチを退任後、2006年に『カープ鳥』で半年間修業。強面で、自らも「人と話すのが上手じゃない」という長内は20歳近く年下の店長に教えを請うた。コーチ時代と180度逆転した立場に戸惑いはなかったか。「全くないですね。この業界では一番下なわけだし、何も知らない自分に教えてくれるわけですから。今でも、師匠には『さん』付けですよ」

古巣の優勝は店内のテレビで観戦

 汗を拭いながら懸命に焼き鳥を作る姿は、猛練習に耐えて栄光を勝ち取ったカープ戦士の生き様そのものだった。優勝は店内のテレビで観戦。あと1アウトの場面で客に「座って見んさい」とカウンター席に招かれ、胴上げ後に樽酒で乾杯したという。

川島堅は小平市で整骨院経営

■川島堅(1988年~1994年)

 ドラフト前日に8球団から1位指名の可能性を伝えられていた川島堅は、3球団競合の末に広島に入団した。1988年、高卒1年目の夏に一軍昇格。約1か月後、中継ぎで初登板を果たす。

3球団競合の末に広島に入団した川島堅氏

横手投げに変えた3年目にヒジを故障

 1年目は最終戦で完投するなど上々の滑り出しだったが、3年目にコーチから「横手投げに変えろ」と指示を受け、約1か月後にヒジを故障。1995年から1年間台湾でプレーし、野球から離れる踏ん切りがついた。

野球で故障した経験が活かせると、柔道整復師に

 帰国後、大学へ行くか、資格の勉強をするか、商売を始めるか悩み抜いた末、少しでも野球で故障した経験が活かせると思い柔道整復師を目指した。カープのトレーナーに相談し、紹介された接骨院のグループ会社で朝と夜働きながら、昼は専門学校に通う日々を3年間続けた。月給は10万円程度。年下の院長に命令される立場になった。

東京・小平市で整骨院を経営する

「自分は何もできないと思い知らされ、給料があるだけでありがたかった」。謙虚な姿勢で吸収力の高い川島は新店舗の院長に抜擢され、8年間勤め上げた後、独立した。「自分のやり方を試したくなった。収入は減ったけど、充実しています」。川島は今、東京・小平市で一橋整骨院を経営する。初診料2000円から。「都心部の整骨院よりかなり安いですよ」

塚本善之、兵動秀治は競輪選手

■塚本善之(1988年~1990年)

 二軍通算7試合、防御率10.00──塚本善之は広島を3年で解雇された。現役中は肩を痛めて、スコア付けに明け暮れる日々。21歳を迎える秋、「来季の契約は結ばない」と通告された後、京都の実家へ帰った。

競輪選手に転向

 鉄工所で働きながら、新たな職を探していた時、野球から競輪に転向した元広島・石本龍臣の元を訪ねた。「もう1度、自分の力で金を稼げる世界で勝負したかった。競輪の世界で強くなって、見返したかった」

32歳で初優勝し、野球を素直に見られるように

 32歳の時、初優勝を飾り、年俸は広島時代の3倍となる1000万円を超えた。その頃、意識的に遠ざけていた野球を素直に見られるようになった。「今では娘たちと一緒にマツダスタジアムに観に行きますよ。(同世代の)畝龍実コーチも声を掛けてくれます」

広島は3年で解雇も競輪は現役24年目

 広島は3年で解雇されたが、競輪では現役24年目を迎えた。「首を痛めた影響で右手に力が入らず、練習もできない。今年限りで引退します。まだ続けたかったけど……」。来年から、第3の人生が始まる。

元広島の塚本善之氏(左)と兵動秀治氏


■兵動秀治(1998年~2003年)

 兵動秀治は、15年連続Bクラスという暗黒期の始まりである1998年、ドラフト2位で入団。2年目、引退した正田耕三の背番号4を受け継いだ。首脳陣は主力に育てようとチャンスを与えたが、弱気の虫が顔を出した。

ポジション争いで東出輝裕に敗れる

 二塁のポジション争いは、1年後に入団した東出輝裕に敗れた。「東出は、絶対にレギュラーを取るという意気込みがあった。僕は野球で飯を食おうという気持ちが足りなかった」

完全燃焼できず、30歳の時、競輪デビュー

 完全燃焼できなかった兵動は30歳の時、競輪デビューを果たした。「野球と違って、失敗してもすぐ二軍に落とされるわけではないし、数か月後のレース出場も約束されている。プレッシャーはないですよ。1年でも長く現役を続けたい」。レースで使う自転車は1台50万円ほど。転倒などで壊れると「修理代も自腹なのでつらい」と語る。

小林敦司は代官山でカフェを経営

■小林敦司(1991年~2000年)

 小林敦司は2001年の引退後、東京・赤坂で料亭を営む父親の元で跡継ぎになるための修業を始めたが、考え方の違いから身を引いた。 その後、縁もゆかりもないケーキ店に直接電話。時給850円で初めてのアルバイトを始めた。

チーズケーキが評判の店を開く小林敦司氏

代官山に『2-3Cafe Dining』を開く

 若い女性社員に呼び捨てにされ、毎日のように罵倒された。手の洗い方1つでも注意される日々が4年半も続いた。「イラッとしたこともありますけど、やるしかないと思った。ケーキ屋で野球をするわけじゃないですから」。イタリアンレストランやカフェなどでも経験を積み、約10年に及ぶ下積みを経て、2011年に東京・代官山でチーズケーキが売りの店、『2-3Cafe Dining』を開く。

清原和博が訪れたことも

 3年前には、現役時代に頭に死球をぶつけてしまった清原和博がテレビの企画で店を訪れた。危険球退場の翌日に謝罪に行って以来、言葉を交わすのは2度目だった。「その後も、清原さんは番組への差し入れ用に頻繁に買いに来てくれました。僕は感謝の気持ちしかないです」

ハワイにお店を出すのが夢

 今年の休日は、正月と台風直撃の計3日だけ。旅行に出かけることもない。「楽しいからずっと働いています。いずれ、ハワイにお店を出すのが夢です」

長谷川昌幸はスポーツ用品店に勤務

■長谷川昌幸(1996年~2010年)

 2002年に13勝を挙げるなど低迷期のチームを支えた長谷川昌幸。金髪にしてヒゲを生やしたりし、首脳陣から叱られ、先輩に苦言を呈された。「自分にプレッシャーをかける意味で、あえて奇抜な格好をしていました」

低迷期のチームを支えた長谷川昌幸氏

引退後、輸入時計ブランドの代理店を立ち上げる

 2011年に引退後、もう野球とは関わりたくないと、輸入時計ブランドの代理店を立ち上げるも、約4年でピリオドを打つ。その後、生命保険会社の営業職に就いたものの、性格に合わなかった。「あまり人に強く勧められるタイプじゃないし、友達に電話するだけで勧誘と思われるのが嫌でした。将来のビジョンも全くなく、しんどかったですね」

野球教室の縁から、現在はスポーツ用品店に勤務

 悩みを抱えていた昨年の夏、野球教室の話が舞い込んだ。その縁から、現在は『スポーツオーソリティ』の広島府中店で社員として働いている。週3~4日は店頭に立ち、月2回ほど野球教室で教えている。「引退から4年以上経って、野球への気持ちが再び湧いてきた。子供に教えるのがすごく楽しかったし、今は時計や保険ではなく野球用具の説明ができる。引退後、今が一番充実しています」

「でもやっぱり、テレビを点けてしまいました」

 25年ぶりの胴上げをどう感じていたのか。「最初は見ないつもりでした。それは……複雑な気持ちもありますから。一緒にやっていた選手が優勝を体験するわけですから……。でもやっぱり、テレビを点けてしまいました」

※文中敬称略。名前の後の()は広島カープ在籍年

関連キーワード

関連記事

トピックス

初公判は9月9日に大阪地裁で開かれた
「全裸で浴槽の中にしゃがみ…」「拒否ったら鼻の骨を折ります」コスプレイヤー・佐藤沙希被告の被害男性が明かした“エグい暴行”「警察が『今しかないよ』と言ってくれて…」
NEWSポストセブン
指名手配中の八田與一容疑者(提供:大分県警)
《ひき逃げ手配犯・八田與一の母を直撃》「警察にはもう話したので…」“アクセルベタ踏み”で2人死傷から3年半、“女手ひとつで一生懸命育てた実母”が記者に語ったこと
NEWSポストセブン
初公判では、証拠取調べにおいて、弁護人はその大半の証拠の取調べに対し不同意としている
《交際相手の乳首と左薬指を切断》「切っても再生するから」「生活保護受けろ」コスプレイヤー・佐藤沙希被告の被害男性が語った“おぞましいほどの恐怖支配”と交際の実態
NEWSポストセブン
芸能活動を再開することがわかった新井浩文(時事通信フォト)
「ウチも性格上ぱぁ~っと言いたいタイプ」俳優・新井浩文が激ヤセ乗り越えて“1日限定”の舞台復帰を選んだ背景
NEWSポストセブン
国分太一の素顔を知る『ガチンコ!』で共演の武道家・大和龍門氏が激白(左/時事通信フォト)
「あなたは日テレに捨てられたんだよっ!」国分太一の素顔を知る『ガチンコ!』で共演の武道家・大和龍門氏が激白「今の状態で戻っても…」「スパッと見切りを」
NEWSポストセブン
2009年8月6日に世田谷区の自宅で亡くなった大原麗子
《私は絶対にやらない》大原麗子さんが孤独な最期を迎えたベッドルーム「女優だから信念を曲げたくない」金銭苦のなかで断り続けた“意外な仕事” 
NEWSポストセブン
ドラフト1位の大谷に次いでドラフト2位で入団した森本龍弥さん(時事通信)
「二次会には絶対来なかった」大谷翔平に次ぐドラフト2位だった森本龍弥さんが明かす野球人生と“大谷の素顔”…「グラウンドに誰もいなくなってから1人で黙々と練習」
NEWSポストセブン
小説「ロリータ」からの引用か(Aでメイン、民主党資料より)
《女性たちの胸元、足、腰に書き込まれた文字の不気味…》10代少女らが被害を受けた闇深い人身売買事件で写真公開 米・心理学者が分析する“嫌悪される理由”とは
NEWSポストセブン
ラオスを訪問された愛子さま(写真/共同通信社)
《「水光肌メイク」に絶賛の声》愛子さま「内側から発光しているようなツヤ感」の美肌の秘密 美容関係者は「清潔感・品格・フレッシュさの三拍子がそろった理想の皇族メイク」と分析
NEWSポストセブン
国宝級イケメンとして女性ファンが多い八木(本人のInstagramより)
「国宝級イケメン」FANTASTICS・八木勇征(28)が“韓国系カリスマギャル”と破局していた 原因となった“価値感の違い”
NEWSポストセブン
今回公開された資料には若い女性と見られる人物がクリントン氏の肩に手を回している写真などが含まれていた
「君は年を取りすぎている」「マッサージの仕事名目で…」当時16歳の性的虐待の被害者女性が訴え “エプスタインファイル”公開で見える人身売買事件のリアル
NEWSポストセブン
タレントでプロレスラーの上原わかな
「この体型ってプロレス的にはプラスなのかな?」ウエスト58センチ、太もも59センチの上原わかながムチムチボディを肯定できるようになった理由【2023年リングデビュー】
NEWSポストセブン