電通は長く社員手帳に掲載していた「鬼十則」を削除するという。「鬼十則」が発表されたあと日本は高度成長期を越え、経済大国になり、低成長の時代になった。社会的評価が低かった電通は押しも押されぬ一流企業となり、広告業界は若者の憧れの仕事である。そんな今の時代に吉田の言葉は時代遅れかもしれない。だが「電通100年史」を読んでいて、私は吉田の「鬼十則」を今に残したことが今回の悲劇につながったというより、「鬼十則」とともに伝えなければならないことを伝えていなかったのではないかと思った。
「電通100年史」第六編第三章の「ダイナミックな企業革新の陰で」と題する文章のなかで、1991年に起きた「電通事件」の裁判について触れている。これは入社2年目の男性社員が長時間労働でうつ病になり、自殺した事件である。社員の両親が電通の責任を問う民事訴訟を起こし、最高裁は賠償額を減じた二審判決を破棄差し戻し、最終的に1億6800万円の賠償金を電通が両親に支払うことで和解している。最高裁は「企業には過労によって社員が心身の健康を損なわないようにすべき義務がある」という初めての判断を示し、これはその後の過労死問題に大きな影響を与えた。「電通100年史」は裁判の経緯を説明したあとこう結んでいる。
《この事件は誠に不幸な出来事ではあったが、これを契機として電通社内では時間外勤務管理の徹底、長時間労働の見直し、社員の健康管理・メンタルヘルス対応策の充実等、社員の健康管理に対する対応が着実に前進しつつある》
「前進しつつある」とは、なんと歯切れの悪い言葉だろう。この歯切れの悪さが、今回の悲劇をまた生んだのではないか。電通の次の社史で、今回の女性社員についてどのような記述がされるのか見てみたい。