「タレントを預かる事務所のいち人間なのに、“田中美奈子ですけど…”と言えばなんとかなった。ビジネスをファーストにアップグレードしてもらったりとか、有名人の名前を使って、力任せに物事を動かしているマネジャーがいましたよ。後になって反省してましたけど、バブルは人を変えましたから(笑い)」
「え? そうだったの?」と横で爆笑しながら田中が続ける。
「その頃はバブルの中にいるなんて意識していなかったから、崩壊するなんて思ってもみなかったんですけど、1990年代後半になってから海外ロケが減って、座席がエコノミーしか取れないって言われて、今は撮影後のご飯もなくなったし、お弁当がない現場もある。最近の制作の現場では“制作費がないんで”って必ず言われるし、それがすごいむなしい感じがしてねぇ。華やかな夢を売る商売なのにって思う。お金にシビアになっていくと、いろんなところにしわ寄せがくるから、心に余裕がなくなって、ギスギスしてくるんですよね」(田中)
バブル時代、お立ち台で踊っていた荒木師匠(年齢はNG。編集部注)は「当時は贅沢が美徳だった」と話す。断捨離やミニマリズムを良しとする現代社会とは正反対の価値観だ。
「たとえばご飯食べるのだって、レースクイーンの友達を連れているだけで、お店側もかわいい女の子がいるっていう宣伝になるからタダにしてくれる。そこにいるお金持ちのおじさんたちも、かっこつけてシャンパンをバンバン抜くし、帰りのタクシー代も出してくれてました。だからお財布を持たなくても、片道の電車賃さえ持っていれば一晩中遊んでいられた」(荒木師匠)
※女性セブン2016年12月15日号