CMの制作意図は「誰もが元気だった1980年代になぞらえて、今の日本も元気にしたい」。実際、田中自身も現場でパワーチャージしていた。
「撮影中は200人くらいのエキストラさんがみんな肩パッド入りの衣装で、女性は太眉メイク、男性は吉川晃司さんみたいな髪形でスタンバイしているのを見ていて、ただただ懐かしくって。桐谷さんに“本当にこんな感じだったんですか?”って聞かれたから、“そうだったんだよ”と言ったんですけどね。信じられないって顔でキョトンとされていました(笑い)」(田中)
小学2年生になる娘からは、「『ナウい』って何?」と聞かれたという田中。ちなみに答えは「今風の」で、対義語は「ダサい」だ。田中が当時のナウい生活を振り返る。
◆とにかく今の常識とはかけ離れていた…
「ドラマは海外ロケが多くて、『トップスチュワーデス物語』(1990年・TBS系)だけでも、パリ、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランド…ってよく飛んでましたね。ビジネスかファーストが基本だったんですが、乗っていると、機長さんが直々に“コックピットを御覧になりませんか”って案内に来たりしていました(笑い)。今だったら大問題でしょ?(大問題です。編集部注)
私の誕生日には、『君の瞳に恋してる!』で共演した中山美穂ちゃんはじめ共演者のかたがたが『キング&クイーン』(当時大流行した東京・青山にあった“宮殿ディスコ”。編集部注)を貸し切ってくれて。吉田栄作さんや前田耕陽さん、藤田朋子さんも来てくれました」(田中)
ドラマでもバラエティーでも、仕事後はプロデューサーやスタッフたちとみんなで食事に行くのが当たり前。芸能人御用達のレストランを貸し切り、値段を気にすることなくオーダー。撮影の合間、ゴルフの授賞式でトロフィーを渡すためだけにフジテレビから静岡・川奈へ、ヘリコプター移動したこともある。
「ドラマのセットも豪華でしたよね。その年齢でその職業でこんな家に住めないだろうっていう部屋にみんな住んでて。ロフトつきとか、おしゃれならせん階段とか」(田中)
田中のマネジャー・加藤雅史さん(52才)は、当時は田中付きではなかったと前置きしながらも、「ぼくら、スタッフも勘違いしてました」と話に乗り出してきた。