直虎は遠江(現在の静岡県西部)の北部にある井伊谷(現在の浜松市北区)の領主・井伊直盛の娘として生まれた。生年も幼名も不明とされている。
出家して「次郎法師」を名乗るものの、相次ぐ戦争や謀略によって家督を継ぐ男たちが次々と命を落とす中、井伊家を守るために還俗(出家した者が俗人に戻ること)。「女城主」として直虎を名乗り、唯一生き残った井伊家の幼い男子を守りながら再興を目指す──というもの。
ちなみに「直虎が育てた男子」とは、後に徳川家康に重用されて「徳川四天王」の一人に数えられた井伊直政。関ヶ原の戦いなどの戦功により彦根に領地を与えられ、彦根藩の初代藩主となった戦国武将だ(江戸時代末期の「安政の大獄」、「桜田門外の変」で知られる井伊直弼は彦根藩第15代藩主)。
こう紹介すれば、江戸時代まで続く名門・井伊家の窮地を救った「女傑」の物語に俄然興味が湧いてくる。
だが、この“壮大な歴史物語”を井伊家末裔が、「史実ではない」と否定したのだから驚くほかない。