「子供の頃、『体は男で心は女』という言葉をテレビなどで聞いて、『心が女ってどういうことだろう?』と、不思議に思ったんです。心に性別なんてあるの?って。私は自分を女だと思っているし、そのことに違和感はないけど、心それ自体に性別を感じたことは特にないんです。でも、他の人はそうではないんだろうかと、ずっと不思議で。それがこの小説の原点です」
言葉を使いながら言葉に頼らず、社会通念や定義を一つ一つ、現象に立ち返って確かめるような小説である。例えば央佑に千景は親友なのかと問われ、〈あたしにはちーちゃんしかいなかった。親友になりたかったし、恋人になりたかったけど、まあ、どっちにもなれなかったんだよ〉と答えるまゆ子が、千景をかけがえなく思った原風景がいい。
心と体に違和感を抱え、〈透明人間になりたい〉と思いつめるまゆ子に、千景は〈透明になっても、見えなくはならないよ〉と言って、透明な体から卵や内臓が透けて見えるグロテスクな蛙〈グラスフロッグ〉の写真を見せてくれたのだ。
〈透明になるということは見えなくなることではなく、中まで見えるようになることだった〉〈それはあたしにとって大きな発見で、ひとつの事件だった〉〈目に見えるって、それだけで暴力的で、いやらしい〉
「透明人間になりたいと、漠然と考える人は多いでしょうけど、千景はそれが現実としてどういうことなのか、きちんとわかりたい人なんですね。そんな千景も、昔はまゆ子との関係を、一般的に呼ばれるような間柄に無意識におさめようとしていたのかもしれません。それが普通のことだから。
でもお互いが納得していて、周囲に迷惑をかけていないなら、関係性を表す言葉は本当は必要ないはず。彼女たちや、先生や央佑との関係にしても、“そういうもの”でしかないと思います」