「実はこの女性はダンスの先生と不倫関係にあったそうです。娘さんはお母さんの奔放な振る舞いに愛想を尽かしていたそうですが、亡くなったときの顔つきを見て、『幸せそうだね、お母さんは』と笑顔で見送られていました」(同前)
大切な人と“再会”した後の安らかな死に顔を見ることで、遺族の悲しみが和らぐこともある。そうした霊体験を通じた救いが存在することは、伝統宗教の歴史のなかでも、否定はされていない。
相愛大学教授で浄土真宗本願寺派如来寺住職の釈徹宗氏はこう解説する。
「死者の霊を見るという体験が、仏教の教義のなかできちんと位置づけられているわけではありません。しかし、仏教に限らず、宗教はエビデンスのないものに対しても向き合うものです。
例えば葬送は、聞くことのできない死者の声に耳を傾ける、見ることのできない死者の存在を我が身に引き寄せることを通じて、人生の中に区切りをつけていこうとする儀礼です。葬送や御祓いなどは、本来の教義には直結しない儀礼です。しかし、そうした儀礼なども執り行なうことで、宗教は人々の不安や苦しみを和らげようとしてきたのだと思います。だから幽霊を見ることで癒されたという人がいても、仏教者はそのことを否定はしません」