「コマサさんは2011年に会社を辞めましたが、専務ポストは空席のままでした。ところが、昨年10月にコマサさんが亡くなると、仲川さんを専務に推す声があがったんです。それに違和感を持ったのが、渡さんだったそうです。“自分が病床にあって思うように動けない間に、仲川さんが会社を牛耳ろうと画策した”と思ったのでしょうか、『仲川さんは私を裏切ったのか』と周囲にこぼしたそうです。仲川さん自身、そんなことを思っていなかったようですが…」(前出・芸能関係者)
石原軍団といえば、礼節を重んじて仲間を大切にし、鉄の団結を誇る“男くさい”熱血集団だったはずだ。小さなすれ違いが内紛ともとられる経営陣の退任・再任劇を起こしてしまったのか…。
石原プロに問い合わせると「新旧交代の時期が来たので、正式に株主総会を開いて、仲川氏には任期満了に伴い退任していただきました」という回答だった。本誌・女性セブンは仲川氏の元を訪ねた。すると、冒頭の言葉に続けて、思いの丈をこう明かした。
「年齢のこともあり、いつか身を引く時がくることは自覚していました。ただ、わけもわからずこんな去り方になってしまったのは本当に心残りです。もし裕次郎さんがいてくれたら…。裕次郎さんは本当に太陽のような人でした」
国民的大スターがこの世を去ってから、今年で30年。1991年に小樽に開館した『石原裕次郎記念館』は、この夏で閉館を予定している。石原プロは今、岐路に立っている。仲川氏はこう語る。
「理由ははっきりとはわかりませんが、会社を辞めてくれと言われ、40年尽くした石原プロを去ることになりました。もし渡さんが元気でいてくださっていろんな話を聞いてくれたら、もし裕次郎さんが生きてくれていたら、こんなことにはならなかったかもしれません。没後30年という大切な年ですが、もう私は一切、石原プロにかかわることは許されないでしょう。今後の石原プロに不安はあります。ただ今は、昔のように活気があり、かつての情の深かった石原プロの姿に戻ってほしいと、切に願っています」
映画やドラマを見る私たちも、あの頃、しびれるほどにかっこよかった石原軍団の躍動を、もう一度見てみたいと心から願っている。
※女性セブン2017年4月27日号