舘ひろし一覧

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草刈正雄
井上順、草刈正雄、舘ひろし…「アラウンド70男性」の魅力を再発見
 井上順(74才)、草刈正雄(69才)……。まだまだ若さにあふれる“アラウンド70男性”は少なくない。コラムニストで放送作家の山田美保子さんが、その魅力を紹介する。 * * *若さの秘訣は明るい想い出を胸に楽しく暮らす「今日のお客様は“輝ける74才”このかたです」 10月14日の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)での黒柳徹子サン(88才)の紹介に、自身の大ヒット曲『お世話になりました』(1971年)を歌いながらタップダンスで登場したのは井上順サン。 1960年代、GSブームの雄「ザ・スパイダース」で、甘いルックスやコメディアン的なトーク、ギャグが超人気でした。『夜のヒットスタジオ』『夜のヒットスタジオDELUXE』(ともにフジテレビ系)をはじめ、歌番組の司会者としての印象も強いですし、俳優さんとしても多くの作品に出ていて、最近ではNHK連続テレビ小説『エール』と『おかえりモネ』に2年連続で出演。つまり“現役選手”でいらっしゃるワケですが、いや~、それにしても、お変わりにならない。若すぎます。 その秘密が『徹子?』で次々に明かされたのですから(普段は『バイキングMORE』〈フジテレビ系〉派ですが……)、一瞬たりとも聞き逃せず、リアルタイムで拝見しちゃいました。 まずは「Twitter」のお話。そうでした。順サンと言えば、1年半前から始めたTwitterで、あのデーブ・スペクターさんの上を行くかのようなダジャレの連発や、手料理の画像、タップダンスやヨガの動画などが大注目を集めていたのでした。 その内容は楽しいだけじゃなくて、とってもオシャレ。生ハムが豪勢にのったサラダプレートや、茹でたカボチャにクリームやレーズンを和えた一品など、渋谷生まれ、麻布龍土町育ちらしくグルメでオシャレな順サンならではのお料理なのです。カボチャの日は「カボチャン、ペ!!」とカトちゃん(加藤茶サン・78才)のイラストが描かれた色紙と共にアップ。朝5時に起きて、頭がクリアなうちに、Twitterに何を上げるのか知恵を絞るのは、脳トレになりそうですよね。 ちなみに、スマホ初心者のカトちゃんには生存確認も含め、毎朝、LINEのやり方を伝授しているそうです。  続いて驚いたのは、記憶力が抜群であること。30年前、徹子サンと同じ事務所だったという順サンが、当時のことを徹子サン以上に細かいディテール付きで次々お話しされる様子にも心から驚かされました。 このたび、Twitterを基に初のフォトエッセイ『グッモー!』(PARCO出版)を上梓された順サンは、初めてご家族のことも本の中で明かされています。 おじいさまは渋谷の代々木公園前で馬場を経営され、日本で初めて競走馬を輸入されたかたなのだとか。順サンのお父様は馬場専属の獣医師さんで、それを言うにも「日本で10番目に位置する」=10医=獣医……と、わかりづらいダジャレで徹子サンをキョトンとさせる場面もありました。 ご家族のことを振り返ると「5人(ご両親とお姉様とお兄様)で笑っているシーンばかり思い出す」と。 もちろんつらいこともおありだったでしょうが、それに引っ張られることなく、明るい想い出を胸に楽しく暮らす。これが若さの秘訣なんですね。 さらには、30才ほど年下の女性との交際が続いていて、「彼女に教わることは大きい」と素直に述べる順サン。 昨今、順サンと同年代かそれ以上のスーツ姿の男性の姿を見たり、演説を聴いたりする機会が多く、いろいろな意味でゲンナリしていたところなのですが、順サンの柔軟さと若々しさと、どんな年代の女性もリスペクトされる様子に、心から元気をいただきました。だって順サン、親友・カトちゃんの妻、加藤綾菜サン(33才)のことも絶賛されていましたから。本当に素晴らしい74才。コロナ禍で、すっかりなくしてしまっていた異性に対するトキメキやドキドキを久々に思い出させていただきました。 こうした気持ち、本当に大切なのだと痛感しているところです。マスクは確実にわれわれから表情を奪ったし、お友達との会食や、“推し”のコンサートに出かけられないことなどは、ウキウキする想いを奪っていったものです。たとえ行けても、“黙食”だとか、声を出さない応援などはストレスがたまりますよね。 ならば私が『徹子の部屋』の順サンに元気とワクワクをちょうだいしたように、その昔、憧れていた“アラウンド70男性”にトキメいて、若さを取り戻すというのは、いかがでしょうか。優しさとセクシーさと爽やかさにヤラれた 実は私、最近、草刈正雄サン(69才)に夢中なんです! ここ数年、何度目かのブームを迎えていらっしゃる草刈サン。若き日の資生堂のCMとお変わりにならないと言えば嘘になってしまいますが、元祖トップモデルさんならではの長身とスタイルのよさはそのまま。そして、あの声と優しい笑みにグッときちゃいます。特にアフターライフレジデンス(都市型納骨堂)『南麻布 了聞』のCMでの夫婦の会話! あれは若いかたにはわからないでしょうね?。「なんか、うまいものでも食っていこうか」……、あの声で言われたいです。 CMでいうと、『味の素』の睡眠サポートサプリメント「グリナ」の新キャラクターに就任した舘ひろしサン(71才)。「睡眠、どう?」と尋ねる声や表情も素敵ですが、シルクのパジャマ姿がセクシーでしびれます。「(武井)咲の生まれ年だね」の『ハズキルーペ』にもヤラれましたが(笑い)。 同じくCMでは、『サントリーウエルネス』のサプリメント「オメガエイド」に、爽やかなブルーのボタンダウンのシャツにクルーネックのセーター姿で記憶力テストに興じる三浦友和サン(69才)が出演中。ご長男の三浦祐太朗サン(37才)の妻・牧野由依サン(35才)が第1子妊娠を発表し、ついに「おじいちゃん」になりますが、いまだに爽やかなイメージ。衣装とはいえ、アラ70男性には若々しいファッションが大切なんだなと思いました。 ドラマでは、『正義の天秤』(NHK)に出演中(現在は回想シーンばかりですが)の中村雅俊サン(70才)は、やはり、若々しいし現役感にあふれています。 2017年、脚本の岡田惠和さんに惹かれて観に行った舞台『ミッドナイト・イン・バリ~?史上最悪の結婚前夜~』で、客席に雅俊サンお目当てのファンの皆さんが熱視線と歓声を送っていらっしゃるのを目の当たりにし、雅俊サンが現役感いっぱいである理由がよくわかりました。 そして、女性ファンの存在というのは大きいです。もうおひとり、私はこの10年ほど、中原丈雄サン(70才)が大好きで(画面上で)追いかけています。BS含め、NHKへの出演が多く、連続テレビ小説にも多数ご出演。『おひさま』『花子とアン』『なつぞら』での中原サンは素敵でしたよね。そして2022年前期の『ちむどんどん』でも会えることが発表されました。地元の銘酒「球磨焼酎大使」を務めていらしたり、グルメでもいらっしゃる。バンドを組んでいらして定期的にライブを開催されているんです。『山崎製パン』のCMにもキュン。レーズンパンを一緒に食べたいです。 アラウンド70男性にトキメいていろいろなことを取り戻すという術。『女性セブン』読者の皆さんにオススメいたします!構成/山田美保子『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)などを手がける放送作家。コメンテーターとして『ドデスカ!』(メ~テレ)、『アップ!』(同)、『バイキングMORE』(フジテレビ系)、『サンデージャポン』(TBS系)に出演中。CM各賞の審査員も務める。※女性セブン2021年11月4日号
2021.10.25 07:00
女性セブン
浅丘ルリ子と舘ひろし ついに実現した49年越しの初共演
浅丘ルリ子と舘ひろし ついに実現した49年越しの初共演
 芸能界随一の結束力を誇った石原プロモーションには、退社した者とは基本的に共演しないケースが多かった。石原裕次郎さんとの共演数が最も多い浅丘ルリ子(80才)もその1人だったが、ついに舘ひろし(71才)との共演が実現することで、大きな話題を呼んでいる。 自宅マンションの外階段で、ひとりの女性が慎重に上り下りを繰り返している。時間にして約10分。階段を離れると、自宅の前をゆっくりとした足取りで100mほどウオーキングする。そんな姿が、最近よく目撃されている。「その女性は浅丘ルリ子さんですよ。健康維持のためなのかな、階段を使って運動されているんです。日課になっているようで、お元気そうな姿を見かけますよ」(マンションの住人) 傘寿を迎えた浅丘にとって、10分を超える階段の上り下りは、健康維持にしてはハードすぎる。彼女はある人の思いに応えようと、体力づくりに挑んでいるのだ。石原裕次郎の相手役を最も多く務めた浅丘ルリ子だったが…… 5月12日、芸能関係者がザワつく出来事があった。舘の独立後初となる主演ドラマの詳細が明らかになったのだが、その共演者が浅丘ということで驚きの声があがったのだ。 浅丘は元石原プロモーション所属で一時期は役員を務めたこともある。ところが、石原プロを離れてからは、石原プロ所属の俳優との共演は一切ない。舘との共演は「49年越しにタブーが破られた」と騒がれているという。 石原プロは1963年に故・石原裕次郎さん(享年52)によって設立された。「旗揚げの際に、裕次郎さんが声をかけたうちの1人が浅丘さんでした。当時、浅丘さんは日活のトップ女優でしたが、テレビの普及によって映画業界が下火になり、映画スターの活躍の場が減っていたんです。そんななかでも、石原プロは映画製作に力を入れていました。映画への思いが強かった浅丘さんは、のちに石原プロに移籍しました」(芸能関係者) 裕次郎さんは生前100本以上の映画に出演しているが、その相手役を最も多く務めたのが浅丘だった。「37本で共演していて、時には週2本のペースで撮影を共にしていたこともあります。家に帰る時間もなく、2人はセットの片隅で重なるようにして眠っていることもありました」(前出・芸能関係者) 6才年下の浅丘に、裕次郎さんは常に気を使っていたという。「裕次郎さんが浅丘さんを誘い、2人きりで食事に出かけることもよくありました。あまりに仲がいいので、交際が噂されたこともあるほどです」(前出・芸能関係者) 当時の映画界では、主演は男性で女優はそこに花を添える脇役というケースが大半。しかし浅丘は主演にこだわりを持っていた。そんな浅丘の気持ちを裕次郎さんは理解していたのだろう。浅丘は石原プロ在籍中に、『華やかな女豹』(1969年)や『愛の化石』(1970年)などで主役を演じている。 そんななか、石原プロの“失敗”が浅丘の退社につながることになる。石原プロ元常務取締役の仲川幸夫さんは、当時をこう振り返る。「石原プロは、『黒部の太陽』(1968年)や『栄光への5000キロ』(1969年)などの大ヒット映画を生み出しましたが、1970年の『ある兵士の賭け』が大コケしました。公務員の初任給が約3万円の時代に、6億円もの負債を抱えることになったんです。これが遠因となって、映画製作の幅を狭めざるを得なくなりました。映画に出続けたかった浅丘さんが石原プロを辞めるのは、自然な流れでもありました」 1972年に石原プロを退社して以降、裕次郎さんとの共演はパタリとなくなり石原プロ所属の俳優との共演もない。「浅丘さんが、石原プロとは共演NGにしている、いやいやNGを出しているのは石原プロの方、などという噂が、長年囁かれてきました」(テレビ局関係者) その噂を仲川さんはやんわりと否定する。「表立ってNGを出していたわけではありません。でも、裕次郎さんというのは、去る者は追わないタイプなんです。浅丘さんに限らず、やはり石原プロを辞めていった川地民夫さん(享年79)や浜田光夫さん(77才)らも、退社後の共演はありません」裕次郎さんが結び付けた こうした線引きを重視するのは、石原プロが一枚岩だったが故だ。「いわゆる石原軍団というと俳優集団のように思われがちですが、実際にはカメラマンや照明、音声など、すべてのスタッフを含めた呼び名の総称です。そうした立場の異なる全員がまとまるには、ある種の“関連性”が必要でした。“退社組と共演NG”という明文化されていない“鉄の掟”のようなものは確かにあった」(前出・芸能関係者) ただし、会社を去った浅丘と裕次郎さんの関係が途切れたわけではなかった。「石原プロのトップとしては距離を置きながらも、裕次郎さんは浅丘さんの映画女優へのこだわりを尊重していました。共演はできませんでしたが、陰ながら応援していたんです」(当時を知る映画関係者) 今年1月に石原プロは解散。鉄の掟も消えた。だが舘が石原プロに入ったのは、浅丘が辞めた11年後。在籍期間が重なったことはない。その2人を結び付けたのは、ほかならぬ裕次郎さんだった。「ドラマのキャスティングの際、制作サイドは石原プロが解散したこともあり、舘さんに浅丘さんとの共演を打診したそうです。舘さんは多少の戸惑いはあったようですが、浅丘さんへのリスペクトもあり、決断したようです。浅丘さんも舘さんがよろしければということで、初共演が実現しました」(ドラマ関係者) だが浅丘もそのオファーを承諾するのは、簡単ではなかった。相当な覚悟が必要だった。浅丘は今年3月、帯状疱疹を発症していたことを明かしている。「帯状疱疹とは高齢者に罹患率が高い病気で、ヒリヒリとした痛みやかゆみが2〜3日続いた後に、小さな水疱を伴う発疹が帯状に現れるのが特徴です。発疹が消えても痛みやしびれが残ることがあります」(医療関係者) 現在は症状をコントロールしながらの生活が続いているという。それだけではない。「2017年に『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)に出演した際、一部の視聴者から、浅丘さんに対し『ろれつが回っていないときがある』といった指摘が、インターネット上で囁かれていたのです。確かに、年齢的な衰えもあるのでしょう。浅丘さんは、そんな心無い指摘も覚悟して、オファーを受ける決意をした。 舘さんの再出発の足を引っ張りたくないからと、毎日少しずつ体力づくりを続けてクランクインを待っているようです」(前出・芸能関係者) 初共演となるドラマで、浅丘はわが子を殺した罪で服役していた女性を演じ、舘が演じる保護司の支援を受けて新たな人生を歩み始める。裕次郎さんもきっと、2人の共演を楽しみにしているに違いない。※女性セブン2021年6月3日号
2021.05.24 07:00
女性セブン
「あんこ」にハマる舘ひろしがオススメ とっておきの和菓子店5選
「あんこ」にハマる舘ひろしがオススメ とっておきの和菓子店5選
 渋くていつまでもかっこいい舘ひろしさん。そんな彼が大の甘党だということをご存知だろうか。特にハマっているのが「あんこ」だ。「味の好みはコンサバ、気に入ったらずっと食べ続ける」という、“あんこに一途な男”舘さんが食べ続ける、絶品和菓子5選を紹介する柿安 口福堂 ラゾーナ川崎プラザ店神奈川県川崎市幸区堀川町72-1ラゾーナ川崎プラザ1F 石原プロの名物を引き継ぎ、おはぎの差し入れが復活。舘プロが新たに選んだ『柿安 口福堂』は、精肉や惣菜で知られる『柿安本店』が展開する和菓子店で、親しみやすく本格的な味が人気。事務所立ち上げの際には、『おはぎ(つぶ)』(129円)2000個が振る舞われた。「甘すぎないところもぼくの好み。理想に近い味でした」(舘さん・以下同)ザ・キャピトルホテル 東急 ラウンジ「ORIGAMI」東京都千代田区永田町2-10-3 3F 色みも爽やかな『抹茶ぜんざい』(1771円)は、舘さんが仕事の打ち合わせでよく利用するホテルのラウンジの看板メニュー。「ここに来たら、必ずオーダーするデザート。一緒にいる人全員にすすめるくらい、おいしいんですよ」梅花堂愛知県名古屋市千種区末盛通1-6-2 さつまいもを生地に練り込んで蒸す、名古屋発祥の和菓子『鬼まんじゅう』の名店。昭和4年の開店当時から変わらない味で愛され、昼過ぎにはほとんどの和菓子が売り切れる人気ぶり。「名古屋に行ったら、ぜひ訪れてほしいお店です。『大福餅』(1個150円)はレンジで少し温めてもおいしいです」御菓子所 芳光愛知県名古屋市東区新出来1-9-1 上質な素材で作られる見た目にも美しい和菓子は、茶人や著名人も絶大な信頼を寄せる。なかでも、あんこ入りの『わらび餅』(1個310円)は一度食べたら忘れられない逸品。「母の代からずっと通っています。お正月に帰省したら必ずわらび餅と季節の生菓子『椿餅』を何箱も買って、東京の皆さんに配っています」赤福三重県伊勢市宇治中之切町26番地 餅の上になめらかなこしあんをのせた『赤福餅』は、伊勢を代表するお土産。「ぼくは基本的につぶあん派だけど、赤福は別格。関西方面に行ったら必ず買って、新幹線で食べます」※女性セブン2021年5月20日・27日号
2021.05.18 07:00
女性セブン
舘ひろしが伝授する秘伝の「ぜんざい」 味付けから煮加減まで解説
舘ひろしが伝授する秘伝の「ぜんざい」 味付けから煮加減まで解説
 今年1月で所属していた「石原プロモーション」が解散し、新たに「舘プロ」を立ち上げた舘ひろしさん。石原プロでは、おはぎの差し入れが定番だったが、舘プロの初ミーティングの議題も「おはぎについて」だったという。 被災地慰問やロケ現場で焼きそばや豚汁、ぜんざいなどを石原プロの面々が振る舞う「炊き出し」。スターたちが料理の腕を競い合う真剣勝負の場だったが、なかでも舘さんの作るぜんざいは大好評だった。「小林専務が別の鍋でぜんざいを作っていたときに、ぼくの鍋と食べ比べた渡(哲也)さんが『こっちの方が、おいしいな』って(笑い)」(舘さん・以下同) 敬愛する先輩が太鼓判を押したぜんざいは「おふくろの味」だ。「母にとって姑である祖母に教わり、婚家の味を受け継いだ甘さ控えめでさっぱりした味わいです。料理が苦手な母でしたが、ぜんざいは特別においしかった」 東日本大震災後、宮城県・石巻で行われた炊き出しでも、舘さんはぜんざいの調理を担当。渡哲也さんも認めた舘家に伝わるぜんざいのこだわりを、味つけからあずきの煮加減まで教えてもらった。【ポイント1】あずきは一晩水に つけてふっくらさせる「炊き出しのときも、あずきは一晩水につけておきます」。吸水させることで、短時間でもあずきがふっくらと煮上がる。【ポイント2】白砂糖を使い、甘さは控えめに「ザラメを使う人もいますが、ぼくは普通の白い砂糖を使うのがこだわり。甘さ控えめの、さっぱりした味に仕上がります」【ポイント3】甘みを足すときは水飴を使う「塩を入れた後に甘みを足したいときは砂糖ではなく水飴を使うといい。小林専務直伝の方法です」【ポイント4】あずきは粒を残し、汁はさらっと多め「煮加減は、あずきの粒がしっかり残っていて、汁はさらっと多め。小さめの四角い焼餅を加えれば、舘家のぜんざいの完成です」【ポイント5】仕上げに塩を入れて味を決める「ちょうどいい甘さになったら、塩をひと振りして味を調える。塩を入れた後はどんなに砂糖を足しても甘くならないから慎重に」【プロフィール】舘ひろし(たち・ひろし)/1950年愛知県生まれ。1976年に映画『暴力教室』でデビューし、『あぶない刑事』シリーズなど話題作に出演して人気を博す。2020年秋に旭日小綬章を受章。現在は2021年4月に立ち上げた新事務所『舘プロ』で所属俳優第1号として活動。撮影/LUCKMAN※女性セブン2021年5月20・27日号
2021.05.16 07:00
女性セブン
新事務所を立ち上げた舘ひろし 初ミーティングは「おはぎについて」
新事務所を立ち上げた舘ひろし 初ミーティングは「おはぎについて」
「この店のわらび餅は正月に実家に必ず買って帰るんです。その大福は皮が厚いところが気に入ってます。このおはぎ、皆さんも一緒に召し上がりませんか」 テーブルにずらりと並んでいる和菓子を見つめて顔をほころばせる舘ひろし。“日本一ダンディーな男”は、甘いものに目がない。特に愛して止まないのが、「あんこ」だ。「ぼくにとって、あんこのお菓子は“郷愁の味”。子供の頃、祖母や母が作るおはぎやぜんざいが大好きだった。祖父も親父も下戸で甘党だったから、祖母が作ると家族みんなが集まって、お茶を飲みながら食べるのが年に数回の幸せな時間だった。祖母に『ひろし、ついてください』と言われ、おはぎに入れるもち米をすりこぎでついたことをいまでもよく覚えています」 舘の実家は名古屋で代々続く旧士族の家系。築200年の旧武家屋敷で家族とほおばった“武骨なあんこ”は格別だった。「名古屋はつぶあんが主流だったから、こしあんよりもつぶあん派。いまも食後や打ち合わせのときにつぶあんのおはぎを食べますが、絶対に緑茶と一緒にいただきます。古い家で育ったから“コンサバ”なんでしょうね」石原プロといえばさしいれは「おはぎ」 1983年に入社して2021年1月に解散を迎えるまで、舘が屋台骨を支えた「石原プロモーション」もまた、あんこへの深い愛を持っていた。「石原プロが『西部警察』の制作を始めた1970年代終盤、当時の小林(正彦)専務が北海道の朝市で絶品のおはぎの店を見つけたことが始まりでした。小林専務はおいしいもので人をもてなすことが大好きだったので“これはうまいから食べろ”と毎日おはぎをひと箱ずつ、出演者みんなに配って歩く。ロケ中ずっとおはぎを食べ続けて、渡(哲也)さんも三浦友和も、ドラマの初回と最終回でずいぶん顔の大きさが違う、ということがありました」 以来、石原プロではおはぎの差し入れが定番となった。「ぼくが4月に設立した新事務所『舘プロ』でもその伝統を継いで、おはぎの差し入れを復活させたかった」 設立後、最初に行ったミーティングの議題は「おはぎをどの店に発注するか」。厳選した複数のおはぎを試食会で食べ比べた結果、「柿安 口福堂」が採用され、新事務所立ち上げの取材会で集まった報道陣に早速振る舞われた。「名古屋の実家で食べたおはぎの味に似ていたことも、選んだ理由の1つです。いまの目標は渡さんや裕次郎さんが情熱を注いできた映画製作の灯を絶やさないこと。かつての石原プロのようなスケールの大きな映画でなくてもいい。肩肘をはらずに見られる作品でもいいので『映画をつくる』という夢だけは、継いでいきたい」 そう言って目の前の大福に手を伸ばした舘の姿は静かな情熱と渋い色気に満ちていた。【プロフィール】舘ひろし(たち・ひろし)/1950年愛知県生まれ。1976年に映画『暴力教室』でデビューし、『あぶない刑事』シリーズなど話題作に出演して人気を博す。2020年秋に旭日小綬章を受章。現在は2021年4月に立ち上げた新事務所『舘プロ』で所属俳優第1号として活動。撮影/LUCKMAN※女性セブン2021年5月20・27日号
2021.05.15 07:00
女性セブン
青島・室井も名コンビだった(左が織田裕二、右が柳葉敏郎。時事通信フォト)
萩原健一&水谷豊、舘ひろし&柴田恭兵… 昭和ドラマの名コンビ
 今も昔も傑作と言われるドラマのジャンルに“バディもの”がある。暑苦しい男同士から異色の男女タッグまで、多様なコンビがドラマを彩ってきた──。 名バディが活躍するドラマの先駆けとして強烈なインパクトを残したのが、木暮修(萩原健一)と乾亨(水谷豊)の『傷だらけの天使』(1974年・日本テレビ系)である。 探偵事務所で汚れ仕事ばかりさせられるチンピラ風情の修と、彼を「兄貴」と呼んで慕う亨。その不思議な関係性に当時の若者は夢中になった。同ドラマの大ファンである漫画家の杉作J太郎氏が語る。「放送翌日、学校は『傷だらけの天使』の話題でもちきりでした。行き場を失った“兄貴”と“亨”は組まざるを得ない状況で、お互い依存し合っている。だけどどちらも信じ切ってはいないという奇妙な関係でした。 最終回で、風邪をこじらせて亡くなってしまった亨を風呂に入れて『あったかいだろう』と言いながら、いつも『女を抱きたい』と口にしていた亨の体にヌード写真を貼ってやる。その後、亨の遺体をドラム缶に入れ、リヤカーに載せてごみ処理場に運び捨てて逃げ帰る……。若者のやりきれない挫折を描いたシーンで、今でも伝説です」 他のファンからも懐かしむ声が上がった。「『ア~ニキ~!』って言い方の真似ばかりしていた。亨の情けないけど憎めない感じがすごく好きだった」(60歳会社員)「汚い部屋で、牛乳をこぼしながらガブ飲みし、トマトと缶詰のコンビーフをむさぼり食うオープニングのショーケンの姿はとにかくカッコよかった」(65歳自営業)マツが語る「トミーとオレ」 1970年代に数々の名コンビを生んだのは刑事ドラマだった。 特に支持されたのが、『俺たちの勲章』(1975年・日本テレビ系)の中野祐二(松田優作)と五十嵐貴久(中村雅俊)だ。中野は武闘派で革ジャンにグラサン。後輩の五十嵐は優しくて涙もろく、スリーピースのスーツと、キャラも服装も正反対だった。「街中でドンパチやっちゃうくせに、危なくなるとアラシ(五十嵐)に『お前、先に行けっ!』って(笑い)。ちょっと笑える松田優作が最高でした」(63歳会社員) 同作の企画を務めた日本テレビの元ドラマプロデューサー・岡田晋吉氏が振り返る。「キャラクターが正反対の2人を組ませたら面白いと考えた。“犯人が罪を犯せば、監獄にぶち込める”と考えて行動する優作に対し、雅俊は“被害者を出さないために犯罪を未然に防ぐ”という思いで現場に駆けつける。タイプの違う2人の衝突がウケた」 好対照な関係といえば、『華麗なる刑事』(1977年・フジテレビ系)の高村一平(草刈正雄)と南郷五郎(田中邦衛)も忘れられない。「草刈さんがロサンゼルス市警帰りのエリート刑事、田中さんは鹿児島訛りが強い叩き上げ。これほどハマった“デコボココンビ”はいませんでした」(杉作氏) テレビ文化史を専門とする日本大学名誉教授・こうたきてつや氏が「刑事ドラマにコメディ要素を“初めて意図的に入れた”という点で画期的」と評するのが、岡野富夫(国広富之)と松山進(松崎しげる)の『噂の刑事トミーとマツ』(1979年・TBS系)だ。 松崎しげる氏に話を聞くと、作品名は松崎氏の提案だったと明かす。「オファー時は『噂の刑事』というタイトルでした。しかし、『白バイ野郎ジョン&パンチ』『刑事スタスキー&ハッチ』といった米国の映画やドラマをよく見ていたので、普段から呼ばれていた国広君のトミーと僕のマツを取って『噂の刑事トミーとマツ』にしたら面白いかもって提案したら採用されたんです。国広君とはそれまで面識がなく、最初の1、2話はぎこちなかった。だから彼をよく家に呼んで酒を飲み、いろんな話をしましたよ」「OK、タカ!」 1980年代の空気を体現した作品が、「タカ」こと鷹山敏樹(舘ひろし)と「ユージ」こと大下勇次(柴田恭兵)の『あぶない刑事』(1986年・日本テレビ系)だ。「それまでの刑事ドラマの男臭さを排した軽妙でスタイリッシュなコンビでした。当時は“あなたはタカ派かユージ派か”が大きく話題になりました。私は断然ユージ派。クールでクレバー。射撃と運転が上手いところも憧れました」(テレビ解説者の木村隆志氏) この『あぶ刑事』を手がけたのも前出・岡田氏である。「時代に合わせて、思い切ってコメディに振り切りました。“現実にはありえない設定でもいい”と割り切って、舘君と柴田君の魅力を前面に押し出した。当時、ゴルフをやっていなかった柴田君を舘君が誘ったりして、仲良くやってくれた。そういう人間性を持った役者を使わないと、名コンビは生まれません」「いくぜ、ユージ!」「OK、タカ!」──2人の掛け合いを真似する若者が続出した。 1980年代には刑事ドラマ以外にも2人組の要素が取り入れられた。徳川龍之介(田原俊彦)と榎本英樹(野村宏伸)の『教師びんびん物語』(1988年・フジテレビ系)だ。「『あぶ刑事』と同じように、『榎本~』『先ぱぁ~い』の掛け合いがクセになります。後輩教師である榎本の情けないけど可愛らしい感じがとてもハマリ役で、当時の人気も凄かった」(ドラマ評論家の田幸和歌子氏) 平成に入ると青島俊作(織田裕二)と室井慎次(柳葉敏郎)の『踊る大捜査線』(1997年・フジテレビ系)のような“キャリア組の上司と現場の刑事”というコンビ間格差を描くドラマや『相棒』(2000年~・テレビ朝日系)のように杉下右京(水谷豊)が亀山薫(寺脇康文)、神戸尊(及川光博)、甲斐亨(成宮寛貴)、冠城亘(反町隆史)と“相棒”を替えていくロングヒットも生まれた。「初めは室井に不信感を抱いていた青島が『室井さんみたいな人がいるなら俺は安心して下にいます』と信頼を寄せ、室井も『責任を取る。それが私の仕事だ』と立場の違う2人が段々と信じ合っていく。絆の強さを感じさせる名コンビでした。『相棒』では歴代の右京さんの相棒のなかでも肉体派で熱血漢の亀山君が、インパクトが強かった。普段は冷静な右京さんが亀山君の行き過ぎた行動に『やめなさい!』と感情的になる場面も多かった。歴代の『相棒』の中でも人間味が溢れていたコンビだと思います」(同前) その後、増えてきたのは“男女コンビ”。柴田純(中谷美紀)と真山徹(渡部篤郎)の東大卒のキャリア女性と元公安の刑事の組み合わせで大ヒットした『ケイゾク』(1999年・TBS系)や山田奈緒子(仲間由紀恵)と上田次郎(阿部寛)の自称マジシャンと自称天才科学者が組み合わせの『トリック』(2000年・テレビ朝日系)が人気を呼んだ。 現在大ヒット中の『天国と地獄~サイコな2人~』(TBS系)も女刑事・望月彩子(綾瀬はるか)とサイコパスな殺人鬼・日高陽斗(高橋一生)の魂が入れ代わるという設定で男女バディの流れが受け継がれている。 令和にも昭和の名作に負けない“バディ”が登場するか。※週刊ポスト2021年2月19日号
2021.02.10 07:00
週刊ポスト
刑事ドラマで一世を風靡(2012年1月)
「ひろし、熱いよ」病床の渡哲也さんに寄り添った舘ひろしの心遣い
 現在、公開中の映画『ヤクザと家族 The Family』で、暴力団の組長を演じた舘ひろし(70才)。ハードボイルドなイメージだが、現役のヤクザを演じるのは初めてという舘が心酔し、背中を追い続けたのが、昨年8月に亡くなった渡哲也さん(享年78)だ。 晩年、幾度となく病魔と闘う渡さんに、舘は寄り添い続けた。直腸がんで渡さんが虎の門病院(東京・港区)に入院していた1991年。入院食は近くにあるホテルオークラの厨房から届けていたが、どうしても冷えてしまう。渡さんが「熱い天ぷらが食べたいんだよな」とつぶやいたのを聞いた舘は、ヒルトンホテル(現キャピトル東急)の天ぷら職人を連れてきて、病院の前にキッチンカーを止め、病室に揚げたてを運んだ。「ひろし、熱いよ」 そう言いながら、渡さんは泣いていたという。「渡さんと舘さんは、かつて1日100本のたばこを吸う愛煙家でした。舘さんはたばこの持ち方も渡さんを真似ていましたね。20年ほど前、渡さんが肺気腫を患いました。渡さんが吸えなくなると、それを知った舘さんはその日を境に、たばこをすっぱりやめてしまった。兄貴分にならった、というよりも、渡さんの体調が回復するように“願掛け”をしたのではないでしょうか」(石原プロ関係者) 舘が渡さんに最後に会ったのは一昨年の7月。それからは、2週間に1度は電話で話していたという。いつも渡さんは「ありがとう。オレのことを気にかけてくれるのはお前だけだよ」と話したという。 映画『ヤクザと家族』の劇中で“子分”役の綾野剛(39才)が、最期の病床にある舘の手を握るシーンに、渡さんと舘の姿が重なる。「病気をしてから、渡さんはゆっくりとしか歩けなくなった。舘さんは一緒に歩くとき、その速さだけでなく、歩幅まで合わせて歩いていた」(舘の知人) 舘は渡さんの「静かに逝きたい」という意思に従い、密葬には参加しなかった──。 今回の映画は、キャストもスタッフも30代、40代が中心。舘はそんな若い仲間の演技にも目を細め、「素晴らしい」と声をかけていたという。 石原プロはこの1月に解散した。舘にとって石原プロ最後の作品が、この映画だった。舘は「渡さんと裕次郎さんの“映画を作る”という夢のともしびを持ち続けていたい」と語った。時代は移り変わる。だが、変わらないものが、人から人へと受け継がれていく。※女性セブン2021年2月18・25日号
2021.02.07 16:00
女性セブン
深夜までサシ飲みも 渡哲也と舘ひろし「兄貴と弟分」の濃密な40年
深夜までサシ飲みも 渡哲也と舘ひろし「兄貴と弟分」の濃密な40年
 孤独な不良少年が親分と出会って“家族”を知る──これは、綾野剛(39才)と舘ひろし(70才)が出演した映画『ヤクザと家族 The Family』のなかの話。それはそのまま、暴れん坊だった若き日の舘ひろしが渡哲也さん(享年78)に出会い、惚れ込み、背中を追う姿と重なる。銀幕の裏側で紡がれた男と男の物語──。 舘は伝説のバイクチーム「クールス」を経て、1976年に俳優デビュー。転機は“お館(やかた)”と慕う渡さんとの出会いだ。東京・青山の秩父宮ラグビー場近くの喫茶店。ドラマ『西部警察』への出演が決まった29才の舘に、渡さんから「記者発表前に、一度会おう」と連絡があった。店には先に渡さんが入っていた。舘の姿を見て、渡さんはパッと立ち上がってこう言ったという。「舘くんですね。渡です」 渡さんにスッと差し出された手を、舘は強く握り返した。駆け出しの俳優に、そんなに丁寧な姿勢の映画スターはそれまでいなかった。挨拶しても机の上に足を置きながら生返事で返されることもざら。雷に打たれたような衝撃を受け、それ以来、撮影現場でも渡さんの姿勢にどんどん惚れ込んでいき、1983年、石原プロに所属することになった。「言うまでもなく石原プロのトップは石原裕次郎さん。しかし、舘さんはあくまで“渡さんの弟分”を貫きました。裕次郎さんにも、“僕は渡さんの背中を見ているので、裕次郎さんの背中は見えない”と言っていたほどです。裕次郎さん亡き後は、それこそ本当の親分、子分のようでした」とは、石原プロ関係者だ。 ロケの際はいつもホテルで部屋飲み。ほかの共演者やスタッフは日付が変わる頃に部屋を出たが、渡さんは「ひろしはまだいいだろ」と引き留めた。夜中の3時、4時まで2人で飲むのは当たり前。舘は2時間ほど横になって急いで現場に向かったが、渡さんはゆっくり昼前に顔を出したという。渡さんにとっても心を許せる“舎弟”だったのだろう。 渡さんは寡黙なタイプ。豪放磊落で知られる勝新太郎さんが石原プロを訪ねると、渡さんはいつも舘を呼んで相手をさせたという。舘が勝さんの酒席のエピソードに詳しいのは、そういう事情だった。「演技について渡さんが舘さんにアドバイスしたのは、一言だけだったそうです。それは、『ひろし、芝居なんかしちゃいけない』。舘さんは、裕次郎さんも渡さんも、自分も含めて石原軍団は“大根役者ぞろい”とよく言います。 その心は、“スクリーンに存在するだけで人を惹きつける存在感”が大切だということ。『西部警察』はビルが爆破され、車がひっくり返るだけなのに、裕次郎さんと渡さんがたばこをくわえトレンチコートを着て歩くだけで魅力的な作品になる。いちばん必要なのは演技のテクニックではない。それを渡さんは舘さんに伝えようとしたのです」(芸能関係者)※女性セブン2021年2月18・25日号
2021.02.06 16:00
女性セブン
舘ひろし、初の組長役 「このご時世でもやるべきだと感じた」
舘ひろし、初の組長役 「このご時世でもやるべきだと感じた」
「なんだ? オレのタマ(命)でもとってみるか?」。舘ひろし(70才)の口元に浮かぶ笑みが消えるのと同時に、右手に握った湯飲みの水が、敵対組織の幹部の顔面をびっしょりと濡らしていた。舘の咆哮が響く。「このチンピラが!」──。 公開中の映画『ヤクザと家族 The Family』で舘が演じるのは暴力団の組長。無頼の生活を送る若き不良の綾野剛(39才)を“ヤクザという家族”に迎え入れるが、時代の流れのなかで、組員やその家族までもが「ハンシャ(反社)」として追い詰められていく。冒頭は、普段は穏やかな舘が凄みを見せる重要な場面だ。「舘さんが徹底的にこだわったシーンでした。湯飲みを持ち上げるタイミングや所作に迫力を持たせようとすると、敵対ヤクザ役の豊原功補さん(55才)にうまく水がかからない。何度も何度もリハーサルをし、撮影しては床やテーブルを拭いたり、壁を乾かしたり、衣装を着替えたりを繰り返し、舘さんも何度もモニターをチェックして鬼気迫るシーンが完成しました」(映画関係者) ハードボイルドなイメージの舘だが、現役のヤクザを演じるのは、これが初めてだという。たしかに代表作の『あぶない刑事』をはじめ、舘といえば刑事役。舘は「自分のイメージを壊すリスクもある。石原プロとしてもこのご時世で“ハンシャ”の役はやらせたくなかった。それでもこの役はやるべきだと感じた」と語っている。本作品で監修・所作指導をした作家の沖田臥竜さんが明かす。「舘さんと綾野さんが親子盃を交わす『盃事』のシーンで、舘さんは“セリフが多すぎないか”と違和感を持ったそうです。他人の大人が“親子”になろうという神聖な儀式では、言葉は少ない方がいいと感じたのでしょう。私から、“現実には盃事の最中は無言を貫く親分もいれば、よく話す親分もいる。舘さんがどういう親分を演じたいかでしょう”と助言すると、舘さんはじっと考えて、セリフをごくシンプルにし、インパクトのあるものに変えた。舘さんは自分の“親分像”に渡哲也さん(享年78)を重ねているのだ、と納得しました」 舘自身、雑誌のインタビューでこう語っている。「この役を演じるうちに、渡さんを追っているような気がしていた。渡さんならこう演じただろうとか、渡さんならこんなふうにしゃべっただろうとか」 さらに初日舞台挨拶で「誰に観てもらいたいか」と問われると、「亡くなった渡さん」と感慨深げに語った。※女性セブン2021年2月18・25日号
2021.02.05 11:00
女性セブン
舘ひろしがハードボイルド作品だけでなく、ホームドラマやコメディにも挑戦する理由とは
ヤクザ親分役熱演・舘ひろし「僕の中でのモデルは、きっと、渡さん」
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、舘ひろしが語った、ホームドラマやコメディにも挑戦した理由、公開中の映画『ヤクザと家族 The Family』でヤクザの親分を演じるにあたって浮かんだ渡さんの姿についての言葉を紹介する。 * * * 舘ひろしは従来のハードボイルドイメージの作品だけでなく、ホームドラマやコメディなどにも挑戦し続けている。二〇〇七年のテレビドラマ『パパとムスメの7日間』(TBS)では、新垣結衣の演じる高校生の娘と人格が入れ替わる父親役で、外見は舘ひろし、内面は女子高生というコミカルな設定に挑んだ。「いま僕が七十歳を過ぎて俳優としてやれているのは、あの作品をやる勇気があったからだと思うんです。 これまで僕を見てきた人たち、ハードボイルドのイメージを持っている人たちはあの作品を観ない。でも、女子高生は観る。それは僕にとって新しい、そして素晴らしいマーケットでした。そう考えると、あの作品に出るべきだという答えになってくるわけです。でも、やはり勇気のいる決断でした。 僕にオファーをくださる人たちは僕を見て、やれると思ってオファーをくださる。ということは、あとは僕にやる勇気があるかどうかなんですよね。 この間の映画『終わった人』もそうです。そのタイトルだけで二の足を踏むじゃないですか。それでもオファーしてくるということは、これをやらせたら面白いと思うからそう言ってくださるわけで。ある程度の勝負ができる感覚があれば、よほど酷い台本でない限り、やります」 一月公開の最新映画『ヤクザと家族』では、現代において段々と生きる場所を失っていくヤクザの親分・柴咲を演じている。「この作品のオファーをいただいた時、今の時代にヤクザ映画ということで、うちの会社はあまりやらせたくなかった。でも僕はホンをいただいて読んだ時、凄くやりたいと思ったんです。 基本的に、ヤクザという疑似家族を通して本当の家族を描いた作品だと思った。だから、僕は非常にリスキーだけれどもやる価値があると感じ、やると決めました。やくざが非常に生きづらい社会情勢の中で、病気になっていく柴咲の姿がその象徴として上手く表現できればいいなと。時代の流れの中で、こうやってやくざは死んでいく。その象徴だと捉えました」 圧倒的なカリスマ性で周囲の人間に心から慕われながら、やがて病に倒れていく親分像。それは、舘が慕い続けた渡哲也の姿が重なってくる。「ああ、それは嬉しいですね。たしかに、僕の中では柴咲のモデルは、きっと、多分──渡さんだった気がします。どういうわけか、渡さんが出てきちゃうんです。佇まいとか」 元々は「嫌々」始まった舘ひろしの俳優としての人生。それも、いつしか半世紀近くに及ぼうとしている。「多分、僕はものを作ることが好きなんですよね。芝居をすることよりも、映画を作る作業自体が好きなんです。こうしたい、ああしたいと監督やスタッフと話し合いながら作っていく感じが。きっと、だから、俳優をずっとやってきたんじゃないかという気がします。 もちろん芝居に特化する俳優さんもいます。でも僕はそれよりも、みんなと作って、その一部として芝居をするのが楽しい」【プロフィール】春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。撮影/五十嵐美弥※週刊ポスト2021年2月12日号
2021.02.01 16:00
週刊ポスト
舘ひろしがドラマ『新宿鮫』などを振り返る
舘ひろし ドラマ『新宿鮫』シリーズ主演時に出した3つの条件
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、出演映画『ヤクザと家族 The Family』が1月29日に公開された舘ひろしが、初めてフィルムではなくビデオカメラで撮影したドラマ『新宿鮫』のエピソードと、大河ドラマ『功名が辻』での織田信長役について語った言葉をお届けする。 * * * 舘ひろしは一九九五年に始まるテレビドラマ「新宿鮫」シリーズ(NHK-BS)で、主人公の鮫島刑事を演じた。「『新宿鮫』は『あぶない刑事』に比べると、内面に入っていくドラマでした。ですから、自分の中でもリアリティを追求する。そういう作品でした。 石橋冠監督がドラマを受ける時の条件が、主役は僕でということだったんですね。それで僕は三つの条件を出しました。『新宿鮫』は僕にとって、いわゆるテレビのビデオカメラで撮る初めての作品でした。フィルムで育っているんで、ビデオの映像が嫌だったんです。映り過ぎて。 被写界深度が深いんで、どうしてもそうなってしまう。なので奥行きを出したい、スモークを焚いてほしい、と。 それから、あの原作の魅力は警察内の隠語を使っていることなんです。逮捕令状を『札』と言ったり、捜査本部を『帳場』と言ったり。そのセリフは変えないで、画面の下に字幕を入れてもらいました。 そしてもう一つは、テレビカメラだとどうしてもズームを多用してしまう。それを使わないでほしいと伝えたんです。被写体に寄る時はズームではなくドリー(カメラ自体を移動させて近づくこと)で必ずやってもらいました。僕は芝居にはあまり興味ないのですが、映像には興味があるんですよね」 二〇〇六年の大河ドラマ『功名が辻』(NHK)では、織田信長役で出演した。穏やかな雰囲気が強い作品の中で一人、不穏な空気を放ち続けていた。「あれは凄く楽しかったです。僕はエキセントリックな信長をやりたかった。でも、司馬遼太郎さんの原作だとそうではないんですよね。僕は津本陽さんの『下天は夢か』の信長のほうが好きだったんです。青筋立てていて。それで、そっちに合わせて台詞を変えちゃったんですよね。 衣装部さんも美術さんも僕の信長を理解してくれました。強さが出ると思って赤と黒と白だけで衣装を作るように頼んだら、そう作ってくれました。 比叡山を焼き討ちする場面もそうです。『叡山を攻めん』と信長が家臣たちを前に言うシーンでした。 でも、信長は彼らに向かっては言わないと思った。どこか遠くを見つめながら、ぽつりと『叡山を攻めん』と独り言のように言うはずだと。それを聞き逃すような奴は打ち首にする男です。すると、家臣はみんな『えっ!』となる。 そのためには静寂が欲しい。静寂の中でいきなり言うから、『え!』という驚きと恐ろしさが際立つ。静寂を表現するのは音です。それで最初は扇子をカチカチと開けたり閉めたりして、最後にパシーンとエコーを効かせる。で、『叡山を攻めん』。 そこに光秀が『それはなりませぬ』と言うので、立ち上がってお膳を蹴る。『お膳を蹴りたい』と美術部に頼んだら、蹴ることができるものを用意してくれました」【プロフィール】春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。撮影/五十嵐美弥※週刊ポスト2021年2月5日号
2021.01.30 16:00
週刊ポスト
舘ひろしが石原裕次郎さん、渡哲也さんとの思い出を振り返る
舘ひろし 石原さん、渡さんに言われた「芝居なんかしちゃだめ」
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、映画『ヤクザと家族 The Family』(1月29日全国公開)に出演する舘ひろしが語った、『あぶない刑事』に主演するにあたって参考にしたこと、石原裕次郎さん、渡哲也さんに言われた芝居をすることについての言葉を紹介する。 * * * 舘ひろしは一九八六年、テレビドラマ『あぶない刑事』(日本テレビ)に主演。さまざまなガンアクションを繰り広げている。「僕はいろんなところから盗むんですよね。『あぶない刑事』でやっていたのは、ドアをバーンと開けて敵のアジトに入って銃を構える時に、必ずしゃがむこと。これは『007 ドクター・ノオ』のジェームズ・ボンドです。 カジノでバカラをやっていて、自分の部屋に戻る。すると、部屋の奥から物音がするんで、まず拳銃を出し、ドアを開け、しゃがむ。ドアがいきなり開いたら、相手は自分の目線の高さを見るわけですよね。ところが、しゃがんでいるとすぐに見えない。ほんの短い時間ですが、その間にこちらは先手を打てるわけです。だから、しゃがんで入る。それが僕には魅力的に見えました。 それから、銃を構える時に正面に構えることは、なるべくしませんでした。斜めに構えることで、相手の弾丸が当たる面を少なくした方がいいだろうと。そういうことを考えながらやっていくのが面白かった。 いろんな映画を見て、いろいろ盗む。僕のお芝居は多分ほとんどどこかの盗作ですよ。スティーブ・マックイーンの『ブリット』とか、これ以外にないという車の降り方をするんです。そういうのを参考にしました」 演技経験のない状況から俳優のキャリアを積んできた舘にとって、石原裕次郎や渡哲也の姿が一つの目標となる。「俳優にはお芝居よりも大事なことがある気がするんです。それは石原さん、渡さんからも言われたことです。『ひろし、芝居なんかしちゃだめだよ』って。 二人ともお芝居は下手ですよね。僕も含めて、うちはみんな下手です。でも芝居はセリフを言ったりカメラの前で動いていれば、なんとかなるんです。きっとそれは大切なことではない。 究極は、芝居をしないでそこに存在している、ということではないかと思います。映画を観た時の存在感。大事なのは、その映画の中に生きている石原裕次郎さん、渡哲也さんを感じさせることなんですよね。 たとえば、『西部警察』はストーリーも大した話ではなくて、爆破して車がひっくり返るだけです(笑)。でも、最後に石原さんと渡さんの二人が港をバックにトレンチコートを着て歩くだけで説得力がある。どんなストーリーでも、最後に二人が歩けば納得しちゃう。俳優って、究極はそういうことだと思うんです。 あの二人のような俳優でありたい。圧倒的な存在感。俳優って、ファーストカットでスクリーンにドーンと登場した時に決まると思うんです。少々芝居が下手でも、この圧倒的な存在感とか格好良さみたいなものがあれば、もっちゃうんですよね。 ホンをもらって芝居をするのではなく、人生丸ごと演じちゃえ。お二人は僕にそう言いたかったんだと思います。その中で何かを切り取っていけばいい。 二人とも人生を演じきった。僕は、そこまでは演じ切れていませんね」【プロフィール】春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。撮影/五十嵐美弥※週刊ポスト2021年1月29日号
2021.01.24 16:00
週刊ポスト
舘ひろしが俳優人生のターニングポイントを振り返る
舘ひろし 人生変えた渡哲也さんとの出会い、「華がある」という言葉
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、出演映画『ヤクザと家族 The Family』の公開を控えている舘ひろしが、役者を始めたきっかけ、忘れられない渡哲也との出会いについて語った言葉をお届けする。 * * * 舘ひろしはロックバンド「クールス」のメンバーとしてデビューした後、一九七六年に映画『暴力教室』に出演、俳優としてのキャリアをスタートさせる。「芸能界に入るつもりは全くありませんでした。歌を歌う、映画に出るなんてことは、どちらも僕の頭の中にはなくて。 うちは親父が医者だから、医者になれと言われていたんですが、勉強もしないで医者になんてなれないんですよね。医学部受験に失敗して、それから建築の勉強を始めました。 その頃、原宿で暴走族仲間とよく行った喫茶店で声をかけられました。最初は、東映のプロデューサーから『映画をやれ』と言われたんですが、『映画なんてやらないよ』と返しているうちに、レコード会社から『レコード出しませんか』と話が来て、みんなと一緒にやるなら、まあいいかなと。それで、誰もバンドなんてやったのはいないのに始めたんですよ。 ですから、ここから俳優になろうと決めた──というのはなくて、いつのまにか知らないうちに嫌々やっていました」 一九七九年にテレビドラマ『西部警察』(テレビ朝日)に出演、これをきっかけに石原裕次郎率いる石原プロモーションに参加することになる。「東映、それから角川の映画に出た後、石原プロの『大都会PARTIII』に出ないかという話になったんです。でも、その時は全くやる気がなくて、『テレビはやらないよ』とお断りして。そしたら一年後に今度は『西部警察』をやるから、どうしても欲しい、と。それで『半年だけ』という約束で『西部警察』に入っていきました」『西部警察』で主演の渡哲也と出会う。この出会いが、その後の俳優人生を決定づけることになる。「一番のターニングポイントは渡さんと出会ったこと。それが僕の人生を大きく変えました。 初めて会った時のことは今も覚えています。それまでも東映で俳優さんたちとは会っているわけです。誰かは言いませんが、すごく軽んじられました。『今度よろしくお願いします』と挨拶しても『おうおう、頑張れや』とたばこ吸いながら返されたり。でも、渡さんは違った。『西部警察』に出るにあたり絵画館前で記者会見をやったんです。その前に渡さんから『二人で会いたい』という連絡があって、絵画館手前の秩父宮ラグビー場近くにある喫茶店で会いました。 待ち合わせの喫茶店に行ったら、渡さんはすでに来ていて、僕を見つけたらパッと立ってね。『舘くんですね、渡です』と言って握手してくれたんです。そんな俳優、それまで一人もいませんでした。それだけに凄く衝撃があり、嬉しかった。『西部警察』をやっていると渡さんだけが『ひろし、お前には華があるな』と言ってくれたんですね。その言葉だけを頼りに今もやっている感じです。そんなこと言ってくれる俳優、いませんでしたから。 その後も渡さんはいつも作品を見てほめてくれました。いつも僕に自信をつけてくれるんです」【プロフィール】春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。撮影/五十嵐美弥※週刊ポスト2021年1月15・22日号
2021.01.05 19:00
週刊ポスト
渡哲也さん 舘ひろしとの遅すぎる再会と墓移設の家族愛
渡哲也さん 舘ひろしとの遅すぎる再会と墓移設の家族愛
 都内の閑静な住宅街の一角にある、平安時代に創建された古刹。境内には著名人の墓も点在している。ひときわ大きな敷地に、彩りにあふれた花が供えられた2基の墓が建っている。その一方に眠るのは、8月10日に亡くなった渡哲也さん(享年78)だ。9月16日に四十九日法要が行われ、納骨も終わった。墓前で手を合わせるファンがいてもおかしくないが、不思議と墓参者の姿は見当たらない。「渡さんは“静かに送ってほしい”という遺言を残していましたから、四十九日法要も、その後の納骨も、ご家族と限られたかたたちだけでひっそりと行われたんです。ファンのかたも近所に住む人も、ここに渡さんが眠っていることは知らないのではないでしょうか」(同寺の檀家女性) 遺言が守られたことで葬儀に参列できなかった石原軍団のメンバーも、10月5日現在墓参りには来ていないという。「舘ひろしさん(70才)をはじめ、渡さんを“兄貴”と慕っていた石原軍団の面々がお墓参りに行っていないのは、自分たちが顔を出すことで騒ぎになることを避けて、“静かに”という渡さんの遺志を尊重するためなんです。当然、手を合わせたい気持ちはありますが、いまはがまんしている。いわば、団長の遺言を守り続けているんです」(芸能関係者) そんな中、渡さんとともに石原軍団を支えてきた舘と神田正輝(69才)は、ひっそりと“再会”を果たしていた。「月命日にあたる9月10日、舘さんと神田さんは渡さんの自宅を訪れ、納骨前の遺骨にやっと対面できたようです。線香をあげ、会話するように長時間手を合わせていたようです」(前出・芸能関係者) 渡さんが静かに眠る墓は、家族に対する愛であふれた墓でもある。「渡さんのお墓のすぐ横に、もう1つお墓が建っているのですが、それは奥さんである俊子さんの実家のお墓なんです。そもそもこのお寺は俊子さんの実家の菩提寺で、兵庫県の淡路島出身の渡さんは、地元にあったお墓を2007年にここに移しているんです。その際、自分のお墓の横に、俊子さんの実家のお墓も新しく建立しました」(前出・檀家女性) 渡さんは結婚4年目に膠原病となり、その後も直腸がんや急性心筋梗塞などを患い、俊子さんとの結婚生活の大半は病との闘いとともにあった。「大病を繰り返す中で渡さんは、献身的に看病を続けてくれた俊子さんに感謝していました。でも渡さんは口下手で、それを素直に口にすることができなかった。自分の病状を冷静にみたとき、奥さんを残して逝く可能性を感じた渡さんは、少しでも墓参りが楽なようにと墓の移設を決めたのです。移設した2007年は、石原裕次郎さん(享年52)が亡くなってちょうど20年目でもありました。いまでいう“終活”のひとつでもあったようです」(渡さんの知人) 自分の家の墓を新たに建てる人は多いが、同時に妻の実家の墓石まで新しくする例は少ないという。それほどまでに、渡さんの俊子さんに対する愛が深かったのだろう。 四十九日から2週間後の9月30日、裕次郎さんの妻で石原プロモーション会長の石原まき子さんが、次のようなコメントを発表した。《遺言に従いご家族、会社が徹底して故人の希望に従い、密葬を8月14日に執り行い、四十九日法要を9月16日に家族のみで執り行いました事を報告とさせていただくと共に故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます》 周囲の思いに守られるように、渡さんの墓はひっそりとたたずんでいた。※女性セブン2020年10月22日号
2020.10.10 16:00
女性セブン
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ずん飯尾和樹が語る 内村光良と舘ひろしの優しさエピソード
 芸歴29年にして、現在CM4本に出演。お笑いコンビ「ずん」の飯尾和樹(51才)が大ブレイク中だ。自然体な姿勢から「いい人」という評価を受ける飯尾だが、これまで多くの芸人や俳優と仕事をしてきた彼が思う「いい男」とは、どんな人物なのだろう。「この前、出川哲朗さんや堀内健ちゃんとかと話していたんですけど。まぁ、かっこいい芸人のエピソードはたくさんありますね。なかでも、内村光良さんはすごい。キャイ〜ンのウドちゃんは、『ウリナリ!!』(日本テレビ系)の頃から弟子みたいなもんですが、怒られたことがないって」(飯尾・以下同) と、ここで水を飲み…。「ぼくも、15年ほど前、『内村プロデュース』(テレビ朝日系)という番組に出させてもらってた流れで、内村監督の『ピーナッツ』という映画にも出させてもらったんですけど。厚木(神奈川)の山奥の球場が撮影場所で、前日が土砂降り。朝5時半くらいに現場に行ったらビチャビチャで、助監督やスタッフが総出でグラウンド補修しているんですよ。 それで、『手伝いましょうか』って聞いたら『いや、演者さんはスタンバイしておいてください』と言われて、みんなでベラベラとトークしていたら、内村さんがすーっといなくなって、しばらくしてふとグラウンドを見たら、内村さんも補修に加わっていたんですよ! みんな『あっ、ヤバ』って急いで手伝いに行きましたが。本当に人に優しく自分に厳しく、背中で伝える人。かっこいいんですよね」 すごいスピードで淡々と話すのだが、そそくさと手伝いに行く彼らの姿がありありと目に浮かび、内村への熱い思いが伝わってくる。 最近、総務省『マイナポイント事業』のCMで共演した舘ひろしも印象的だったという。「現場入りのとき、舘さんは深々と頭を下げて『お世話になります。よろしくお願いします』(と飯尾は立ち上がり、マネをして…)って、甲子園の高校球児みたいにあいさつするんです。もちろん、帰るときも『お疲れ様でした』とていねいなお辞儀をして。 持参したコーヒーを入れてくれたり、『3行以上のせりふは覚えられない』とか冗談を言ってぼくの緊張をほぐしてくれたり、監督からの要求には、すべて『OK、やりましょう』ってどんなことでもやるんです。すごいスターなのにめちゃくちゃ腰が低い。そして優しくて、気さくで、おもしろいんです」【プロフィール】飯尾和樹/いいおかずき 1968年12月22日生まれ。東京都出身。浅井企画に所属し、お笑いコンビ「チャマーず」、「La.おかき」(ラ・おかき)を経て、2000年にやすと「ずん」を結成。自宅では家事を分担し、気分転換に料理は7~8割担当している。好きな料理はカツカレー。嫌いな食べ物はカリフラワー。趣味はゴルフ、料理、物件選び。エッセイ『どのみちぺっこり』(PARCO出版)発売中。撮影/森浩司※女性セブン2020年9月17日号
2020.09.06 07:00
女性セブン

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