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2017.04.18 11:00  女性セブン

「最後のマネジャー」が語る石原裕次郎と石原プロ

 ハワイには別荘とマンションを所有していました。そういえば、神田正輝と松田聖子ちゃんが裕次郎さんに世間に公表する前に結婚の報告をしたのもハワイでしたね。裕次郎さんは大喜び。でもふたりが席を外したら“あいつら、いつまでもつかな?”ってシャレをきかせたりして(笑い)。

 一度、ハワイにいる裕次郎さんを驚かそうと内緒で突撃訪問したことがあるんです。そしたら“おう、よく来たな!”って大喜びで、高いワインを空けて、歓迎の食事会まで開いてもらいました。元来、人を喜ばせることが大好きで、遊び心も忘れない。当時はポーカーも大好きでしたね。とにかく勝負強い。ポーカーで裕次郎さんが負けたところは見たことがありません。でも、最後は自分の勝ち分を全部“やるよ”とみんなに分けてしまう」(仲川氏)

 裕次郎さんには、恋の噂もついて回った。特に世の中の関心を集めたのは、1957年に映画『鷲と鷹』で初共演を果たした浅丘ルリ子(76才)との仲だった。

「実は裕次郎さんに聞いたことがあるんですよ。“ルリちゃんとはどうだったんですか?”って。ルリちゃんは石原プロの役員だった時代もありますし、端から見ていても、異性として好きだったように感じましたから。でも裕次郎さんには“ないよ。何もない”って笑ってあしらわれました」(仲川氏)

 裕次郎さんの生涯は、病気との闘いでもあった。1978年に舌がんを患い、1981年には西部警察のロケ中に解離性大動脈瘤で慶応病院に緊急入院。生還率3%という大手術を乗り越えるも右耳の聴力を失い、1984年には肝臓がんが発覚。1987年7月17日、裕次郎さんは52年の生涯に幕を下ろした。

「亡くなる2か月ほど前、私は病室の裕次郎さんからお使いを頼まれたんです。“どうしてもメロンが食べたい”って銀座まで買いに走って。でも、違う種類を買っちゃったんですよね。最後の最後にまた『おっちょこ』が出ちゃって。裕次郎さんは、“おまえ、罰としてベランダの掃除だな”って。病室のベランダの掃き掃除をしていた私の姿がよっぽどおもしろかったのか、体はつらいはずなのに、またいつものニコニコした笑顔に戻っていました。その笑顔が、今でも忘れられません」(仲川氏)

※女性セブン2017年4月27日号

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