ツイッターで盛り上がる話題といえば、無責任な罵詈雑言や正義の味方面した弱い者いじめや目を覆いたくなるヘイト的なことがほとんどで、まあロクなもんじゃありません。しかし、今回は「ネットのいいところ」や「ツイッター利用者の良心」を見せてもらいました。ネットは悪意を増幅するだけでなく、善意を増幅することもできるようです。
「#東北でよかった」がここまで大きなムーブメントになったのは、ネットの醜い一面に嫌気が差している人がいかに多いかを表わしていると言えるでしょう。図らずもかもしれませんが、怒りや皮肉をぶつけることがカッコイイことだと思い込んでいるハタ迷惑な人や、常に誰かの非を探して責めてばかりいるギスギスした風潮に対する強烈な皮肉にもなっています。日本も、世の中も、まだまだ捨てたもんじゃありませんね。
また「東北でよかった」という同じ言葉が、使い方によって逆の意味になっているのも興味深いところ。言葉の底力というか言葉の持つ可能性というか、そういったものを感じさせられます。ちょっとした応用として、たとえば訪問先で「お茶でよかった?」と聞かれてお茶が出てきたら、すすりながらしみじみと「ああ、お茶でよかった」と言ってみましょう。相手はきっと喜ぶし、自分も日本語を巧みに使いこなせた満足感を味わえます。
大人の毎日は、なかなか思うようにはいきません。悲しさや切なさを感じさせられることもしばしば。そんなときは、マイナスを見事にプラスに変えた「#東北でよかった」の強さとしなやかさを見習いましょう。
立ち飲み屋さんでおいしい焼き鳥に出合ったら「ああ、至福の瞬間 #安月給でよかった」とツイートしたり、喫茶店のおしぼりで顔を拭く気持ちよさを味わいながら「おっさんでよかった」と心の中で呟いたり、社内の不倫スキャンダルを横目で見ながら「モテなくてよかった」と安堵したりすれば、マイナスをプラスに変えることができます。あるいは、電車に乗って「座れてよかった」、初めてのラーメン屋さんで「まあまあの味でよかった」など、「~でよかった」の法則を活用して幸せのハードルを下げてみてもいいでしょう。
ただ、そこには「#東北でよかった」のような痛烈な皮肉のニュアンスはないし、辛い出来事を乗り越えて「よかった」と言っている重みも感動もないので、たとえツイートしても、それほど広がるとは思えません。その分、どう転んでも炎上などすることはなく、静かな日常生活は守られます。何の反応もなかったら「#誰にも相手にされなくてよかった」というハッシュタグを付けて、何の反応もなかったことをツイートしましょう。それを見た誰かに、生きる勇気やささやかな笑いを与えていることを信じて。