二〇一二年に不整脈による八時間の心肺停止であやうく死ぬところだった。奇跡的に命をとりとめて「一・二のさんぽ会」をたちあげてリハビリをした。不死身の闘魂をみなぎらせる。退院したときのひと言は「心臓とめるな、タクシーとめろ!」だった。
台本だけでなく、DJ、タレント、作詞家、落語家(立川藤志楼)であり、テレビ、ラジオ番組やイベントの企画立案をする。もひとつおまけにヨイショの達人で、四谷三丁目の料理屋で偶然会ったハマコーこと浜田幸一先生をほめまくり「夜明けは近い」とはげまされた話が痛快だ。
たけしとの出会いでばりばりと表現する力技をみがいた。「足立区のたけちゃん」はいまや「世界の北野」となり、「渋谷区の高田親分」は「芸能界の水戸黄門」として、新人発掘のドラゴン光線を発射しつづけるのです。
※週刊ポスト2017年5月19日号