さまざまな選択肢がある時代、どのように最期を葬られたいかも多岐にわたる。土に還るのが樹木葬だとしたら、海洋散骨は、海に還るというもの。お墓の悩みを抱えた人たちの間で近年注目を集めるサービスがある。それは、株式会社ハウスボートクラブ(東京都江東区)による海洋散骨サービス「ブルーオーシャンセレモニー」だ。とある日は、5組13人がクルーザーに乗り、東京・羽田沖で合同乗船散骨を行った。なぜ、海洋散骨をしようと考えたのか、その背景をクルーザーに同船したノンフィクションライターの井上理津子氏が迫った。
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「ゆっくりと青い海に沈んでいく遺骨はきれいで」
下船して、ハウスボートクラブの社長に会った。村田ますみさん(43才)。女性がなぜ海洋散骨の会社を?とまず知りたい。
「2003年に、私自身が母を沖縄の海に散骨したんです。その体験からです」
詳しく教えてもらう。
「母は急性白血病になり、9か月間の闘病生活をして55才で他界しました。闘病途中から、私は勤めていた会社を辞めて看病に専念したんですが、母は病床で『お墓には入りたくない。伊江島の海に撒いて』と強い思いを口にしたんです」
母はダイビングが趣味。父と2人で国内外あちこちに出かけて潜っていたが、特に魅せられていたのが沖縄の離島・伊江島の海だったという。
村田さんの父は6人きょうだいの末っ子。先祖代々のお墓は父の長兄が継いだが、その人の計らいで、きょうだい全員とその妻が入れるように改修済みだった。つまり、母に家墓は用意されていた。なぜ、そこに入りたくなかったのだろう。
「今となっては、推し量ることしかできませんが、父方の先祖――母にとっては知らない人たちが入っているお墓が『心休まる場所』でなかったのだと思います」
散骨は、市民団体「葬送の自由をすすめる会」が1991年に「自然葬」として相模湾沖で始めたのが最初とされるが、まだまだ知る人ぞ知る存在だった頃だ。村田さんたち家族は、母の死後1年間、心の整理がつかずに遺骨を手元に置いた後、一部を家墓に納骨し、大多数を伊江島に散骨することにした。
「散骨、沖縄」とネットで検索して見つけた沖縄本島の葬儀社に粉骨とセレモニーを頼み、父母が懇意にしていた現地のダイビングショップのオーナーに船を出してもらった。
「父や妹と伊江島に行き、船から散骨しましたが、ゆっくりと青い海に沈んでいく遺骨はとてもきれいで…。心に空いていた大きな穴が、小さくなっていくのを感じた。その日から前向きに進もうという気力が湧いてきたんですね」
◆クルージング船船長との出会い
村田さんには、そのとき5才の子供がいたが、後に離婚。シングルマザーとしての暮らしを経て、再婚した。その相手が、クルージング船の船長だという。東京湾でクルーズ船を操船する仕事をしていた彼から、初めてのデートのとき「海洋散骨の仕事もしている」と明かされ、距離が縮まった。タイミングよく売りに出ていた中古クルーザーを購入して、2007年に独立開業したのだそうだ。