当時の侍医はモーニング姿で診察したという話があります。医師が白衣姿になるのは、患者からの飛沫感染や血液感染を防ぐためです。そのような格好で陛下に接するのは失礼だという考えがあったようです。
侍医がいたからといって、必ずしも現代のような科学的医療が行われたわけではありません。明治天皇は晩年に糖尿病を患い、慢性肝炎を併発しました。そして1912年(明治45年)7月、食事中に倒れ発熱、尿毒症と診断されます。ところが、その後も主に食事を中心とした生活改善にとどまりました。危篤状態になってから、侍医は科学的医療を決断したと言われています。
近代医療の普及に熱心だったと伝えられる明治天皇に、その近代医療が施されなかったことは皮肉なことです。
◆病名は告知されなかった
生来虚弱体質で病弱だった大正天皇は、誕生直後から治療を受け続けていました。のちに流行性感冒、肋膜炎、腸チフス、肺炎、尿毒症などにかかり、一時は危険な状態にも陥ります。
その後、ご静養の効果があったのか、皇太子時代に一時は全国を巡啓されるまでになりますが、天皇に即位後、再び体調が悪化します。そして宮内省は大正天皇のご病状を国民に公表します。