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2017.07.18 07:00  SAPIO

明治、大正、昭和天皇 健康と長寿を願う医療体制の歴史

 当時の新聞は、「御脳力は日を逐ひて衰退あらせらるゝ」「御幼少の時御悩み遊ばされたる御病気に原因するもの」(『東京朝日新聞』)などとかなり詳細に報じています。裕仁皇太子(後の昭和天皇)が摂政になる事情を国民に説明する必要があったためと思われます。1926年(大正15年)12月、大正天皇は葉山御用邸にて崩御しました。カルテに病名は記されていないと言われています。

 昭和になると医療への取り組みが一気に加速します。侍医長を含む5名の侍医が24時間体制で待機する形は昭和天皇の時に確立されました。

 そして宮内庁病院が1926年に東京・赤坂に「宮内省互助会診療所」として開設されます。現在の施設は、1964年(昭和39年)に建てられました。内科・外科・産婦人科などの8科を持つ総合病院です。天皇陛下と皇族方のほかに、宮内庁職員や皇宮警察職員、その家族、彼らから紹介を受けた人が受診できます。

 天皇の基本検診は日々の拝診です。起床後、侍医が「昨夜は眠れましたか」とお声がけをして、脈を調べます。「おぬる(体温)」を計り、「お東(便)」も確認しました。

 1988年(昭和63年)9月19日夜、突如、天皇が大量吐血をされます。12月には、すでに陛下はほとんどお話ができない状態となりました。当時、侍医たちの表情からは疲労困憊と張り詰めた重い空気が伝わってきました。

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