でも山の日の制定の前に対談した時かな。『田部井さんを小説に書いてみたい』と私が言ったら彼女は物凄く驚いてらして、後日、『私も小説として楽しませてもらいます』と連絡をくださった。それが3年前で、今思えば彼女と会うように会うように、ご縁ができていった気もします」
本書の序章は田部井氏が晩年ライフワークとした「東北の高校生の富士登山プロジェクト」(2012年~)のシーンで始まる。自らも癌と闘う中で被災地の苦しみに寄り添った彼女にとって、小学生の時の初登山の感動がいかに大きかったかから、唯川氏は物語を書き進める。
7人兄弟の末っ子として皆に可愛がられ、幼馴染の〈勇太〉から〈女のくせに〉とからかわれるほど負けん気を発揮した少女の渾名は〈ちびじゅん〉。昭和24年の夏休み、担任教師が企画した1泊2日の那須岳登山に両親を何とか説得して参加した淳子は、近所の山とは色も匂いも全く違う光景に目を瞠(みは)る。
〈那須岳って日本で何番目に高いの〉と聞く彼女に先生は苦笑しつつも、当時は前人未踏だった標高8848メートルの最高峰、エベレストの存在を教えてくれた。〈世界には、私の知らないところがたくさんあって、頑張ればそこに行くことができる〉と心躍らせた四半世紀後、彼女は本当にその夢を実現してしまうのだ。
「田部井さんはエベレスト登頂後の実績も素晴らしいし、どこを切り取って書くか、悩みましたね。でも彼女は特に故郷への思いが強い方でしたし、私としても不動山や安達太良山など、彼女に影響を与えただろう福島の山の名前をたくさん伝えようと思ったんです」
やがて淳子は両親が唯一入寮を条件に認めた東京の女子大に進学。しかし鎌倉出身で同室の〈濱野麗香〉らの華々しさに気後れして孤立を深め、入院・休学するまでに追いこまれていく。