「この大学での挫折の話はご自身も著書に時々書かれていて、後に女子登攀(とうはん)クラブを結成する田部井さんのもう1つの原点だと思う。ちなみにこの中で麗香と勇太は完全に架空の人物。新聞記者志望で女子同士の諍いとも距離を置く麗香は単に鎌倉育ちだから山より海が好きなだけで、淳子が勝手に劣等感をこじらせてるだけなのね。麗香もまた夢を追う、もう一人の淳子みたいな存在でもあって、淳子にとっての山を仕事や夢に置き換えれば、これは誰の物語でもあるんです」
◆彼女のてっぺんは愛する家族だった
本書の白眉は何といっても1970年のアンナプルナ及び1975年のエベレスト登頂だ。当時は女性が入れる登山会自体少なかった。だが淳子は勇太の紹介で〈昇龍山登会〉に入会し、登攀技術、人柄共に尊敬する〈松永〉に淡い恋心を抱いたりもした。
「松永はイイ男ですもんね。私も彼のことは結構しつこく聞いたんですが、彼女も恋愛に関しては想像で書く方が面白いと思ってくれていた節もあって。どこまでが本当で創作かは、それこそご想像にお任せします」
その後、女性ペアによる一ノ倉沢初登攀に成功したパートナー〈笹田マリエ〉の死や、谷川岳で出会った〈田名部正之〉との結婚・出産を経て、女子登攀隊による海外遠征のチャンスを淳子はつかむ。だが難航する資金集めや世間の無理解、さらに隊員間の揉め事にも絶えず悩まされ、山に登る大変さは山以外にあった。それでも〈山に入ればきっとうまくいく〉と信じた淳子も凄いが、その軌跡を自ら追体験した作家も凄い。