「私の場合は高度4410メートルのディンボチェ辺りから頭痛や吐き気に悩まされ、喩えるなら最悪の二日酔い。事前に高度訓練もしたし、風船を毎日膨らませて肺活量も増やしたはずなのに、もう本当に、ボロボロで。
尤も田部井さんご自身は高山病とは無縁で、山に愛される人ってそうなんです。むしろその辛さは体調不良からアタック隊に選ばれず、テントの隅でうずくまるしかなかった他の隊員の描写に生きたかもしれません」
ちなみに本書のてっぺんとは山頂だけを意味しない。遠征の直前、家事や育児に全面協力してくれた正之は言う。〈淳子のてっぺんはここだよ。必ず、無事に俺のところに帰って来るんだ〉
「登山は山を無事に下りて初めて登山なんですってね。山屋である前に一人の社会人でありたいという信念を貫いた田部井さんを、私は心から尊敬するし、彼女のてっぺんは愛する家族だったと思う。まして男社会に盾つくフェミニストなんかじゃ絶対ないし、女と女も男と男も揉める時は揉める。そんなことを恐れていたら何もできないと思うのが、私の書いた淳子なんです」
そんな淳子のひたむきで人間臭い物語を、田部井氏は連載中、いつも楽しみに読んでくれていたといい、こういう小説、いいなあと久々に思ってしまった。
「それはひねくれ者ばかり書いてきた私も思いました。まっすぐ生きるって気持ちいいんだなあって(苦笑)」
【プロフィール】ゆいかわ・けい/1955年金沢市生まれ。金沢女子短大卒。銀行員等を経て、1984年『海色の午後』でコバルト・ノベル大賞を受賞しデビュー。2002年『肩ごしの恋人』で直木賞。2008年『愛に似たもの』で柴田錬三郎賞。他に『刹那に似てせつなく』『セシルのもくろみ』『ヴァニティ』等。2015年秋の18日間エベレストへ。「今はシェルパを必ずつける規則らしく、シェルパ3人にコックとキッチンボーイが各1人、ポーター3人に牛6頭の大所帯でした」。軽井沢在住。B型。
●構成/橋本紀子、撮影/国府田利光
※週刊ポスト2017年9月22日号