◆忖度は「記憶障害」と「認知のゆがみ」をももたらす
そもそも「忖度」とは「他者のことを推し量る」ということ。社会生活を円滑に営んでいくうえで役立つ心の働きである。
なのに、「忖度」が行き過ぎてしまうことで、自由な、自分らしい生き方が阻害されてしまう。内向きの社会のなかで、限られたパイを奪い合いながら、些細な違いによって分断し合ったりする。
他者とつながり、支え合うための「忖度」が、足を引っ張り合い、しがみつき合うような方向に作用してしまっているのである。
なぜ、こんな社会になってしまったのか。過剰な「忖度」を「病気」に例えて考えてみると、ぼくたちの社会が抱える問題が見えてきた。
忖度という病は、さまざまな症状を発症する。その一つは「記憶障害」だ。モリカケ問題でも、「記憶にありません」「記録がありません」と、一強の首相をかばうような発言をする官僚が多発した。
忖度という病になると、「視野狭窄」にも陥る。会社や教育委員会などの狭い組織の中だけしか見えておらず、組織に従うことだけをよしとしてしまう。
また、「認知のゆがみ」も生じる。認知とは、外部のものごとや出来事のとらえ方のこと。相手にレッテルを貼ったり、事実を隠ぺいしたりする。南スーダンで国連平和維持活動をしてきた自衛隊の「戦闘」を、当時の防衛大臣が憲法に違反するという理由で「武力衝突」と言い換えた「言葉のすり替え」も、典型的な症状だろう。