「5、6年ほど前から耳が遠くなり、テレビやイベントに出演することもなくなりました。やっていた野村監督のスケジュール管理も、ダブルブッキングなどが多くなって、息子の団野村氏らが引き継ぎました。とはいっても、80才近くまで現役でバリバリやっていたこと自体がすごいことです」(スポーツ紙デスク)
2016年10月、自宅で転倒して骨折し、1か月ほど入院したことで、歩くことも極端にゆっくりになった。それでも、克也さんは彼女を連れて“夕食デート”を欠かさなかった。
「ここ数年、生活に多少の支障はありましたが、隣に住む息子・克則の奥さんや団野村氏のサポートで、何不自由なく暮らしていました。知人たちは“あんなに幸せそうに逝けてうらやましい”と彼女を偲んでいます」(野村家の知人)
沙知代さんは生前、こんなことを語っていた。
〈私は常々、「(中略)夫に迷惑をかけない、子に迷惑をかけないで逝くのが、夫婦孝行であり家族孝行」と考えています。〉(『夫の転がし方』角川書店)
そんな「ピンピン、コロリ」の最期を迎えるため、いつも生活を工夫してきたという。闘病生活を送ることもなく、入院もなく、老人ホームに入ることもなく、沙知代さんは前日までお気に入りのレストランでディナーを楽しんだ。また、別の知人にはこんなふうにも語っていたという。
「私が先に死んだら、あの人(克也さん)はどうするのかと思ったら、死んでも死にきれないわよ。でも、もし私が先に逝くことがあったら、その時は(克也さんに)手を握ってもらいたい」
実際、沙知代さんは最期のとき、手のひらに克也さんの温もりを感じることができた。最期の瞬間まで夫婦が寄り添い歩んできた道行。夫に愛され、家族に愛され、誰に迷惑をかけることなく、あっさりと潔く──それは、誰よりも愛情深き生き方を貫いた“サッチーらしい逝き方”だった。
※女性セブン2018年1月1日号