2004年3月、前年末から体調を崩されていた雅子さまは愛子さまを連れ、長野県軽井沢町にある小和田家の別荘で療養された。1か月に及ぶ療養には、優美子さんと礼子さんも付き添った。
「民間の別荘に滞在するのは警備上の問題もあり、加えて皇太子さまがお見舞いに行かれることに“小和田家は皇太子殿下を呼びつけるのか”という批判まであがったのです」(前出・ベテラン皇室記者)
小和田夫妻を知る人物が明かす。
「娘のためを思うことが、娘をさらなるバッシングにさらしてしまうことに、夫妻は心を痛めていました。そして、一定の距離を保つことが、雅子さまのためだという結論に達したようです。恒さんは2012年に国際司法裁判所の所長を退任。高齢でもあり帰国すると思われていましたが、その後も判事という立場を継続しオランダでの生活を続けています。その理由は、雅子さまと物理的な距離を保つためだったそうです。自分たちが日本にいると、娘にかえって迷惑になると考えたのでしょう」
一方、日本で暮らす2人の妹たちは、ずっと雅子さまの心のよりどころだった。慶應大学からジュネーブ国際問題研究所に進んだ礼子さんは、国連難民高等弁務官事務所勤務などを経て、現在は2児の母。皇太子ご一家のディズニーランドや那須でのご静養に同行したこともある。
「都内にある礼子さんのマンションで開かれるクリスマスやハロウィンパーティーに、ご一家で足を運ばれることも多い。最近では、恒例となっているご一家のスキー旅行にも、子供を連れて同行しているそうです」(宮内庁関係者)
一方の節子さんも、東大卒で文化人類学者として活動した才媛だ。現在は夫と目黒の実家に隣接する邸宅に住む。
「実は、節子さんは昨年の12月9日に赤坂御用地を訪れています。その日は雅子さまの誕生日だったので、東宮御所での夕食会に足を運ばれて、一緒に誕生日を祝いました。その前日の12月8日、政府は天皇陛下の退位の日取りを2019年4月末に正式に決定しました。それで雅子さまが新皇后になられる日が決まったわけです。雅子さまの胸中には覚悟とともに不安もあったと思いますが、その翌日に会われた妹の節子さんにも胸の内を明かされたのかもしれません。
かつてバッシングを受けたこともありましたが、やはり雅子さまにとってご実家は心安まる場所。不安を抱えられる雅子さまにとって、美智子さまや皇太子さま、愛子さまの存在と同様に、小和田家がバックアップに動き出すことに心強さを感じていらっしゃるのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)
撮影/本誌・田中麻以
※女性セブン2018年1月18・25日号