そもそも科学技術分野の研究というものは、どんな成果につながるかわからない状態からはじまる。何十年と研究しても、まったく無駄に終わるかもしれないことについて取り組む。そうした無駄になるかもしれない研究がたくさん行われてこそ、ほんの一握りの成果がノーベル賞として評価されたり、社会で実際に役立つ技術として採用されたりする。困難な課題に挑戦するからこそ、革新的な技術は生まれるのだ。
ならば、どんな研究も、チャレンジすることにこそ意義がある。無駄になるかもしれない無数のチャレンジができる広い裾野がなければ、成果は決して生まれない。
◆若い目を摘む改革
ところが、近年は社会情勢を反映してか、無駄を排除しようという雰囲気が大学にも入り込んでいる。大学が独立法人化された2004年から2017年までの間で、運営費交付金(国からの補助金)は1445億円も削減されている。毎年1%もの割合で削減されているのである。
大学の運営にも効率の論理が適用されるのは当然だと思う。しかし、毎年1%の削減への対応は効率化だけではできず、人を減らさざるをえなくなった。研究職の最初のポストである助教が大幅に減ってしまったのだ。
そこでポスドク(ポストドクター=博士号を有しながら非正規雇用で研究活動を行う研究者のこと)を雇うことになった。だが、ポスドクには任期があり、決まった期間に成果を出す必要があるため、食うために論文を書くプレッシャーにさいなまれるし、多くの場合、個別の研究プロジェクトの名目で雇われているため、その研究しかできないといった制約がある。若い研究者が自由にのびのびと研究できる環境ではまったくなくなってしまった。