「アメリカでは残念なこと、悔しいこともたくさんありました……」
1980年代は音楽番組がテレビ界のメインストリームの一角を占めており、ジャニーズ事務所は今以上に歌って踊ることに主眼が置かれていた時代。その本流と言える田原や少年隊の後ろで華麗に舞っていた木野は「マイケル・ジャクソンのバックで踊りたい」という夢を叶えるため、1990年にCHA-CHAを脱退。ジャニーズ事務所も辞め、単身でアメリカに飛び立った。MCでは、留学前最後のCHA-CHAのライブについて触れた。
「1990年5月27日のよみうりランドEASTで『必ず帰ってきます』と約束しました。アメリカでは残念なこと、悔しいこともたくさんありました……」
そう言うと、木野は嗚咽した。
「本当は2~3年で(夢を叶えて)帰ってこられれば良かったけど……こうして今日、(ファンの前に)帰ってこられて良かったです」と話すと、割れんばかりの拍手が巻き起こった。これまでも地元・静岡などで何度もソロライブを行なってきたが、バンドを従えた形での東京開催ということもあり、感極まったのかもしれない。
ライブでは、マイケルと同じような衣装で『ビリー・ジーン』や『スムーズ・クリミナル』を再現。ダンスだけでなく、立ち姿や細かい仕草、ポージングと細部にわたるまでマイケルらしさが醸し出されていた。
マイケルのバックダンサーになるという夢は叶えられなかったが、木野は本人の前で二度踊っている。1度目は1993年、『NAACP(全米黒人地位向上協会)イメージ・アワード』で『エンターテイナー・オブ・ザイヤー』に選ばれたマイケルを称えるセクションにおいて、ソロのシルエットダンス『MJ History』を披露。2度目は2007年、東京で行なわれた『マイケル・ジャクソンVIPパーティー』にゲスト出演し、オリジナルのマイケルリミックスを踊った。MCでは、その時のことも感慨深く語った。