幼き日の金正恩と母・高ヨンヒ RENK提供
帰国運動がはじまるのは1959年からだ。北朝鮮へわたった在日朝鮮人は、日本を懐かしんでこっそりと美空ひばりの歌を歌ったという。高ヨンヒもその様子を見ながら、生まれ故郷である日本への郷愁を誘われたのかもしれない。
◆底辺から国母へ
やがて金正日の妻となった高ヨンヒは、ある願いをもっていたと筆者は見ている。金正哲、または金正恩のどちらかの愛息を北朝鮮の最高指導者にする、すなわち北朝鮮の国母となることだ。
金正日の妻になったとはいえ、彼女は在日朝鮮人だ。北朝鮮では底辺の身分から金正日の妻となる道のりで、辛酸をなめたことは容易に想像できる。また、金正日の女好きは有名だ。夫の女遊びに内心穏やかではなかっただろう。いつ他の女性にファーストレディーの立場を奪われるのかわからないのだ。
高ヨンヒは、金正日の放蕩に堪え忍びながら陰で支えた。愛息が最高指導者になればそんな苦労は報われる。そして世界史にその名前を残すことになるのだ。金正恩もそんな母の思いに応え、最高指導者への道を歩む。
高ヨンヒは2004年に死亡するが、金正恩は2010年に金正日の後継者として登場。翌2011年12月の金正日の急逝によって、北朝鮮の頂点に君臨する。金正恩は、ついに母・高ヨンヒの夢を実現させたのだ。