“若い力”の台頭によって衰えを自覚し、それをきっかけに引退を選ぶ大横綱もいた。32回の優勝を誇った第48代横綱の大鵬が、土俵を去ることを決めたのは1971年5月場所のことだ。
「1969年5月場所に30回目の優勝を飾り、その功績を称えて『一代年寄』が贈られたが、その頃から清国や琴桜、北の富士、玉の海ら横綱・大関陣に後れを取るようになった。引退を決定づけたのは、“角界のプリンス”と呼ばれ、のちに大関となる貴ノ花だった。1971年5月場所5日目、大鵬は当時まだ21歳の新鋭だった貴ノ花に敗れ、それが現役最後の一番となりました」(中堅親方)
この一番は、大鵬が右からおっつけて一気に土俵外まで持っていこうとしたところ、残されて逆に寄り切られるという“力負け”だった。
「そこで潮時だと感じたのでしょう。その夜は一睡もできなかったといい、翌朝、師匠に引退の意思を伝えた後、娘に“お父さん、もう相撲やめていいだろう?”と聞き、“うん”と返してもらってから、会見に臨んだというエピソードが知られています」(同前)
※週刊ポスト2018年6月1日号