◆差別撤廃に取り組んだ人類史初の「奇人」
原:文章全体に抑制が効いているんですね。だから政治利用のことや、例の集団訴訟のことになると、逆に書き手の怒りがダイレクトに伝わってくる。
高山:それはありがとうございます。渡辺京二さんが言ってました、人類はもう人類史的に自立すべき段階を迎えているのだと。自立とはお互いがそれぞれの多様性を尊重し合いながら、向かい合って生きていく社会のことでしょうが、このとくに家族の集団訴訟は自立でも何でもない、反近代的なやり方だと思います。最も尊重されるべき個人の尊厳を無視して、1人一律いくらなんてね。そういうことを左翼系の人たちは平気でやる。それが善行だと思っているから質が悪い。
ただ、人間の本質という意味では国際機関も怠慢ぶりがひどくて、ロシアの現地機関なんか、WHOがタダで配った薬を1月に1回しか患者に渡してないんですね。アフリカや南の国々では深刻な熱帯病を抱えているので、ハンセン病に対するプライオリティーを上げるのが大変なのはわかる。でも日本財団が制圧予算のほとんどを担う中、彼らはそれでメシを食ってるわけでしょう?
そのうえ彼らが制圧しましたと言っても、現地へ行くと次々に出てくるんです、隠れた患者が。ブラジルに至ってはサイレント・エリアと呼ばれる地域にたくさん患者がいるのに、政府は手を付けようとしない。これはもうWHOそのものから差別意識をなくさないといけないわけで、陽平さんは本当ならその努力もしなければならない。ところがこの人、ハンセン病だけじゃないんですよ。他の活動もメチャメチャやっていて、本人は勤勉で真面目で、遊び1つしないんだけど、とにかく忙しい人だから。
原:でも、もう年齢的には80近いでしょう?
高山:ものすごく元気です。「青春真っ盛り」なんて、ご本人は文学性のかけらもないことを言うんだけど (笑い)。つまり、イイ歳してオリンピック精神の体現者みたいな人なんです。健全な精神は健全な肉体に宿るっていうけど、それはたぶんこういう人のことを言うんじゃないかと僕は思うくらいで、精神の病んだ人ではやっていけません。
ミャンマーの中央政府と少数民族の和平問題も調印まで持って行ったけれども、とにかく彼が行くところ、行くところ、とんでもない僻地ばかり。雨で道が消えてしまうような山奥の泥んこ道でも、本人はランドクルーザーの中で平気で寝られるような人だからいいけどさ。ホント、あの人につき合っていると、こっちがくたびれちゃいます(苦笑)。
原:ここに出てくるだけでもインド、アフリカ、ブラジル、中央アジア、そしてバチカンでしょ。まさに世界中にまたがっている。それにまた髙山さんが同行する。だからこそ、毛細血管に分け入るような細部の積み重ねによって本書が構成されている。
高山:やっぱり一種の奇人ですよ、あの人は。奇人だけど、なるほど聖者なのかもしれませんね。キリストはハンセン病者を治癒したかもしれない。でも、差別からの解放という考えまでには至らなかった。ガンジーは彼らに温かく接したけれど、アウトカースト身分からの解放どころか、むしろ英国からの独立のためにカースト制を温存した。マザー・テレサは特効薬を与えるよりも、患者たちを穏やかな死の流れへ送り出すことのほうに熱心だった。人類史において彼が初めてなんですよ、差別撤廃に取り組んだ人間は。
それでいて自分は何か高邁な哲学や思想を語るでも、視察先のスピーチで長話するでもない。むしろ聞く側に回って、患者さんと一緒に無邪気に歌ったり踊ったり、自分は虐げられた人たちの下僕になると公言している、稀にみる「奇人」です。
●たかやま・ふみひこ/1958年宮崎県高千穂町生まれ。法政大学文学部中退。1999年、ハンセン病で早世した作家の評伝『火花 北条民雄の生涯』(七つ森書館刊)で第31回大宅壮一ノンフィクション賞と第22回講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『鬼降る森』(小学館文庫)、『水平記』(新潮文庫)、『エレクトラ』(文春文庫)、『どん底』(小学館文庫)、『大津波を生きる』(新潮社刊)、『宿命の子』(小学館刊)、『ふたり』(講談社刊)などのノンフィクション作品のほか、『父を葬る』(幻戯書房刊)や『あした、次の駅で。』(ポプラ文庫)などの小説がある。
●はら・たけし/1962年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。国立国会図書館に勤務後、日本経済新聞社に入社し、昭和天皇の最晩年を取材。東京大学大学院博士課程中退。現在は放送大学教授、明治学院大学名誉教授。著書に『昭和天皇』(岩波新書、司馬遼太郎賞)、『滝山コミューン一九七四』(講談社文庫、講談社ノンフィクション賞)、『大正天皇』(朝日文庫、毎日出版文化賞)、『皇后考』(講談社学術文庫)、『松本清張の「遺言」』(文春文庫)など。