僕は作家について、その周辺にいた人が書いた回想記が好きなのですが、若い頃から繰り返し読んできたのが『カフカとの対話 手記と追想』【1】です。グスタフ・ヤノーホというチェコの作家が17歳のときにカフカと出会い、最初は凡庸な人物に思えて幻滅したのに、次第に魅力に気づいていく。その過程が日記風に綴られているのですが、素晴らしい人と出会う人生の喜びが伝わってきます。カフカもヤノーホも、自分のことを偉いなどと思わない人で、そういう人柄にも共感します。「本は世界の代用となるものではない」「書物から取り出せる人生は、じつに、いや完全に微々たるものです」などなど、抜き書きした言葉もたくさんあります。
2冊目は『エセー』【2】。これも若い頃から折あるごとに開いてきました。モンテーニュは生活をきちんと生きた人で、そういう人のセンスが本の中に溢れ、どこを開いても何かが得られます。
もう1冊は『ヘンリ・ライクロフトの私記』【3】。ジョージ・ギッシング(1857-1903)というイギリスの作家の最晩年の作品です。「ヘンリ・ライクロフト」というのは架空の老作家で、彼が田園で理想的な隠遁生活を送りながら、随想風に社会批評や自然の描写や青春時代の回想などを綴る。ところが、この本のあとがきに書かれているように、著者であるギッシング自身は、正反対のような人生を送り、生涯評価されることのなかった物書きだったんです。彼の没年に出版されたこの本は、彼が夢想したファンタジーだった。そのことに僕は衝撃を受けました。それを理解して読むと、また違った味わいがある本です。
僕が書いてきたテレビドラマには、本の中から抜き書きした言葉がヒントになっているセリフもあります。本は人生とともにあり、本のない人生などというものは考えられないと思っていました。
ところが、昨年1月、突然脳出血で倒れ、それ以来、どういうわけか本を読む気になれないというか、読むのが嫌になってしまったのです。これは僕の人生にとって初めてで、驚くべきことでした。他人が本を読んでいるのを見て「くだらない」と思ったりはしませんが、自分が積極的に読みたいという気持ちにならない。かといって、本が読めないということに落ち込むわけでもない。