「再起を期す焦りもあったのではないか。倒れた日に限らず、巡業中は連日のように、部屋の若手力士を直接、熱心に指導していた。3月場所では当時十両だった弟子の貴公俊(たかよしとし)が付け人への暴行事件を起こし、親方として降格処分を受けただけでなく、世間からの風当たりも強くなった経緯がある。信頼を取り戻すには、何よりまず実力のある弟子を育てることだと考えているのでしょう。
暴行事件後の休場で大きく番付を落としていた貴ノ岩が先場所、親方の期待に応えて十両優勝を果たしたが、“次の関取を早く育てなければ”という思いがあったのではないか」(同前)
◆壁を見たまま……
復活を目指す貴乃花親方にとって、状況が厳しくなっていることはたしかだ。一連の騒動を経て、貴乃花親方は、3か月の間に理事から5階級も降格させられ、現在はヒラ年寄だ。その間に同志との距離も少しずつ離れていった。
2月の理事選では一門の代表を阿武松(おうのまつ)親方(元関脇・益荒雄)に譲り、その後、一門の名前から貴乃花の名称を外すことを決断した。それを受けて発足した阿武松グループとも今は距離を置いている状況だ。
さらに、“身内”との関係にも変化が生じている。