想起されるのが「昭和の大横綱・大鵬の悲運」だ。
32回の優勝回数を誇る第48代横綱・大鵬幸喜は1971年に引退。5年後の1976年には35歳で役員待遇となり審判副部長に抜擢されたが、翌1977年に脳梗塞を発病。これで理事長への道が断たれたといわれている。
「左半身に軽いマヒが残ったため、優勝賜杯を手渡すのは難しいと判断されたという話になっています。しかし実際のところは、違うと考える関係者が多い」(ベテラン記者)
本当の理由は協会内の権力闘争に敗れたことにあったとみられているのだ。
大鵬が引退したときの一門理事には師匠の二所ノ関親方(元大関・佐賀ノ花)と初代若乃花の師匠の花籠親方(元前頭・大ノ海)がいた。
1975年に二所ノ関が亡くなり後継問題が起こった際、一門内では大鵬親方ではなく二子山親方(元横綱・初代若乃花)が理事に指名された。その後、二子山親方は春日野理事長(元横綱・栃錦)と手を組んで協会を運営し、理事長を禅譲された。
絶大な人気のあった大鵬親方が理事長の椅子に届かなかった理由として、脳梗塞での「健康不安」がちょうどよかったというのである。
「現役時代の実績も、ファンからの人気も申し分ない貴乃花親方を協会の要職から遠ざけるために『健康不安を抱えて職責を果たせない』という理屈が都合よく使われてしまうのではないか」(前出の協会関係者)
そんな懸念の声もあがる。協会内の勢力争いは、新たな局面を迎えている。
※週刊ポスト2018年9月7日号