「人が大勢集まる輪の中心にいたのが、つかさん。三つ揃いのスーツにブーツを履いて、流行りのサングラスをかけて、両足を机の上に投げだして、怖かったですよ(笑い)。劇団に入ったとはいえ、シェイクスピアさえろくに読んだことがないし、芝居の経験もない。辞めようと思いましたが、つかさんは僕みたいな素人を集めて舞台を作ったんです。何も知らなかったのが、逆によかったんでしょうね」
21歳でつか主宰の劇団に参加すると、『熱海殺人事件』をはじめ、多くの舞台を踏む。ターニングポイントとなったのは、29歳のときに大部屋役者のヤス役で出演した、つか原作脚本の映画『蒲田行進曲』(1982年)だった。
「監督は憧れの深作欣二さん。ある日つかさんから突然、『お前、今度映画に出るぞ』と言われて、当時、僕のような小劇場の役者をいきなり映画で使うことはないから、『まさか、僕が?』という感じ。それまではただ好きで芝居をやっていましたけど、職業として俳優をやっていけるんじゃないかと思うことができた。それは、つかさんと『蒲田行進曲』のおかげです」
映画は興行収入17億円を超える大ヒットを記録し、その年の日本アカデミー賞を総なめにする。まだほとんど無名だった平田は、最優秀主演男優賞を受賞し、実力派俳優として大きな一歩を踏み出した。あれから36年。映画やドラマに欠かせない名優として活躍し続けている。
劇団時代に知り合い結婚した女優・井上加奈子と、2005年に芝居の企画からプロデュースまでを手がける「アル☆カンパニー」を立ち上げた。プライベートでも仲睦まじい姿がうかがえる。