仙太郎が誰であるかは、ハワイ移民史の研究者の間で長く謎とされてきた。
1878(明治11)年、箱根・宮ノ下に富士屋ホテルを創業したのは山口仙之助である。
仙太郎と仙之助。
塔ノ沢と宮ノ下。
人名も場所も異なるが、塔ノ沢と宮ノ下はすぐ近くだし、そもそも明治時代、箱根にホテルを建てた者など、仙之助のほかにいない。仙之助は、漢方医の五男に生まれ、開港まもない横浜で外国人客も多かった「神風楼」という遊郭の養子となり、山口姓になった。
1851(嘉永4)年生まれだから、明治元年には17歳。遊郭に出入りする外国人から英語を学び、ハワイに密航する伝手も得られたに違いない。ならば、通訳ができたとしても納得できる。しかも横浜は元年者たちが出航した港だ。私の頭の中で仙太郎と仙之助が重なり合った。
だが、この時、ハワイとのやりとりは結局、立ち消えになってしまった。そして、長い年月が過ぎた──。
ホノルルのビショップ博物館で「元年者展」が開催されると聞いたのは今春のことだ。長年、南太平洋をフィールドにしてきた友人の写真家から、その展覧会を担当する学芸員の久山徳子さんを紹介され、私はメールを送った。