サトウキビ農園の遺構(著者撮影)
すると、かつて私に連絡をしてきたハワイの研究者、すなわち、鈴木啓さんが、元年者展を手伝っているという返信があった。
今度こそ、仙太郎と仙之助の謎を明らかにしたい。私はハワイに行くことにした。7月、猛暑の日本から到着したハワイは、吹く風が心地よかった。天気予報の雨マークに心配したが、通り雨はあってもすぐ晴れる。私はまず、元年者が到着した当時、唯一の繁華街だったというホノルルのダウンタウンに向かった。
フォート通り、ヌアヌ通り。通りの名前こそ昔と同じだが、古いビルでも19世紀末に建てられたもの。150年前の町並みはない。今のハワイで、元年者が見た風景を探すのは難しいのだろうか。
彼らの多くは、サトウキビ農園に雇われた。そのひとつが、オアフ島のコウラウ耕地である。元年者が働いていた頃の遺構が残ると聞いて、行ってみることにした。コウラウとは、オアフ島の中央部に背骨のようにそびえる山脈の名である。うねうねとアコーディオンのように連なる山脈。独特の地形に見覚えがあった。
そうか、映画「ジュラシック・パーク」だ。ここは、そのロケ地となった場所なのだ。現在はクアロア牧場というテーマパークになっていて、さまざまなアトラクションが楽しめる。収穫したサトウキビを絞った工場の遺構は、その敷地の片隅にあった。
私が訪れた週末、農業フェスティバルのような催しをやっていて、遺構に隣接する空き地が駐車場として開放されていた。たまたまの偶然で、普段は道路沿いから見るしかない廃墟に私は分け入った。駐車場の係員が、会場と反対の方角に向かう私に怪訝そうな表情で注意を促す。