中でも、恒星・松田龍平の口から発せられた「キモい」という言葉はあまりに衝撃的でした。
「あの女キモいって前から思ってたんだよね。おキレイだけど、嘘っぽくない? あの完璧な笑顔が、なんかキモい」
笑顔を作る晶を「キモい」と喝破。「人形みたいな女」とまで言い放つ。ガッキーに対して「キモい」とは……前代未聞。なんて斬新なドラマなんだ!
グイグイと突いてくるセリフ、仮面を剥がすような切れ味、ここまでくるともはや小気味よくさえあるコトバたち。社会に見せている「表向きの姿」ではなく「内面のリアルをぐいっと掘り進む」という意味で、この一人称ドラマは新境地を拓きそう。松本京子プロデューサーはドラマについてこう語っています。
「笑顔の裏で、人って本当はきつかったり身をすり減らす努力をしているんじゃないか、と。そこを新垣さんにはリアルに演じていただいています」
「ドラマならではの『登場人物のお約束』をぶっとばし」、「周りに気を遣ったり、自分の本音を隠しながらも毎日頑張って生きている『現実の大人たちのリアル』に徹底的にこだわって描く」
「仕事終わりのクラフトビールバー」という舞台設定も、ピタリはまっています。そう、「居酒屋」ではなく、「クラフトビール」というあたりが。都会の暮らしに静かに根を下ろしつつある「クラフトビール」。今や中央線の高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺各駅に一つずつ小さな醸造所がある程に。
産地、素材、鮮度、季節感…作り手のこだわりが詰まっている「クラフトビール」は、少量多品種生産、インディペンデント精神の象徴のような存在です。それが、「自分は自分でいたい」「ありのままでいたい」「他人から見た自分よりも私らしい自分にこだわりたい」という登場人物像と絶妙に響き合っているのです。
これまでドラマの登場人物の多くは、「都会で働く30代前半の女性」といった属性が決められて、こんなファッションやこんな考え方をするはず、と人物造形されていったのではないでしょうか。対してこのドラマは「他人がどう言おうと、私は実はこう感じる」ということを軸に回っていくあたりが新鮮です。
ドラマは「社会を映す鏡」です。社会の底にマグマのように溜まっている「本音でいきたい」「ありのままの私でいたい」という、いわば一人称的な願望と、しかしそれをなかなか実現できないという葛藤を、『獣になれない私たち』というタイトルが浮き彫りにしているのかもしれません。今後の展開、ますます興味津々です。