「合併後の二子山部屋で始まったのが“選別”でした。当時、ガチンコ部屋として知られていた旧藤島部屋の女将さん(憲子さん=現・紀子さん)は、角界にはびこっていた八百長に手を染めた力士を“腐ったミカン”にたとえ、部屋で過ごす弟子たちの行動に目を光らせていた。土俵で怪しい一番があれば、大部屋の黒板に“後ろめたい相撲だけはやめて”と書いた。
八百長に手を染めた力士が付け人になると、ガチンコ力士まで怪しくなる。女将さんはそれを気にして厳しくしていた。ガチンコでない力士は居づらくなって、次々に辞めていった」(若手親方)
当時の現役力士は「派閥があり、師匠(貴ノ花)がスカウトして一から育てた力士と、転籍力士とでは溝ができた」とも証言する。
「各部屋には後援会があり、合併したらその主導権争いも起きる。しかも、今回の千賀ノ浦部屋の事情はより複雑で、先代親方が出羽海一門に所属していた時代からの弟子もいる。現親方になってからの弟子は2人で、先代の時代からの弟子が7人、そこに旧貴乃花部屋の弟子8人が加わるわけです」(前出の若手親方)
複雑な人間関係のなかで弟子たちがトラブルに見舞われないか、25年前の混乱を知る貴乃花だからこそ、気が気でないというのだ。
※週刊ポスト2018年10月26日号