「『満州時代の角栄の写真を持っている』とおっしゃるのでびっくりしたんです。というのも、本を出すときにずいぶん探しましたが、はっきり戦地と分かる場面で軍服を着た写真はなかったからです」(前出・松藤氏)
女性は小野澤惠美子さん。4年前に96歳で他界した父の小野澤冨士氏は、満州にあった陸軍騎兵隊の内務班で角栄と一緒に勤務していたという。
◆アンパンを盗みに来た
惠美子さんに話を聞いた。
「1か月ほど前に、新聞を読んでいたら、『戦場の田中角栄』の広告が出ていたんです。そこに『ノモンハン戦』の文字があったので、すぐに娘に書店に買いに行かせて、一晩で一気に読み切りました。父は生前、酔うたびに、満州にいた頃の田中角栄さんの話をしていましたが、本当だったんだなと思いました」
そして1枚の写真を取りだした。およそ100人くらいの日本兵が写ったセピア色の集合写真。そのなかの一人に小さな丸印がついている。
「この人が角栄さんです。父が写真に書き込んでしまったんです(笑い)」(前出・惠美子さん)
この写真は、ノモンハン事件(*)停戦後の昭和14年10月25日に、日本軍の前線基地・ハイラル(現・中国内モンゴル自治区)で撮影されたものだという。この時、角栄は21歳だった。
【*1939年5~9月にかけて、満蒙国境で起きた日ソの軍事衝突。日本軍は壊滅的な被害を受け停戦に至った】