「父は終戦1年後に帰国しましたが、引き揚げる間もこの写真を肌身離さず隠し持ち、戦後も押し入れに大切にしまい、家族以外には見せようとしませんでした。一緒に写っている多くの戦友が戦地で亡くなられたからだったのでしょう」(前出・惠美子さん)
生きて終戦を迎えた戦友も、すでに80年近く経っているので、今や存命者は少ない。惠美子さんは、むしろ供養になると思い、公開を決意したという。
小野澤冨士氏は大正7年、群馬県に生まれた。幼い頃から馬に乗り慣れていたので、昭和14年1月に徴兵されたときに宇都宮騎兵第18連隊に配属された。その後、満州国富錦にあった陸軍第3旅団騎兵第23連隊に転属している。
一方の角栄も同じ大正7年生まれ。父親が競馬馬の育成に入れ込んでいたためやはり乗馬が得意で、徴兵により、昭和14年4月に満州国富錦の騎兵第24連隊に入隊した。
小野澤氏があとから同じ内務班に配属されて合流する形になったが、すでに実戦経験のあった小野澤氏は伍長、角栄は二等兵という立場だった。
『戦場の田中角栄』には、満州での角栄は決して模範兵ではなく、こっそり夜中に仲間と酒盛りをしたり、立哨をサボったりで、曹長や伍長ら上官からしょっちゅう殴られていたと書かれている。
「父の話では、要領がよくて、憎めない人だったそうです。調子がいいんだけど、まっすぐな青年だったと。『夜中にアンパンを盗みに来てみつかったときも、オレがかばってやった』『オレは田中を一度もぶったことがねえ』というのが、酔ったときの父の口癖でしたね」(惠美子さん)