明治になると、王族・皇族の呼称が外交問題となった。
明治の政治家、星亨は「押し通る」と異名が付くほどの剛腕だったが、私生活は清廉で無欲な硬骨漢だった。星が若い頃横浜税関長を務めていた時、英国のクイーン・ヴィクトリアを「女王陛下」と書いて駐日英国公使パークスの怒りを買った(平凡社東洋文庫『星亨とその時代』、同『パークス伝』)。
「女王陛下」でどこが悪いのかと思うところだが、「女王」は日本の皇族の呼称としては天皇からかなり遠い女性皇族のものである。故・三笠宮仁(ヒゲの殿下)の長女は彬子女王であり、敬称をつけるなら殿下である。パークスは、英国君主にそんな格の低い呼称を使うな、「女帝陛下」と呼べと迫る。星は反論する。英国が王国である以上、王が女性なら女王ではないか、女帝とは呼ぶまい、と。だが、日本政府は後難を恐れるように、星の職を解いて幕引きとした。
パークスは英国を畏怖させるための「外交上の一手段」を使ったのである。現在は何の問題もなく「女王陛下」で通用している。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。
※週刊ポスト2018年11月30日号