このときから11年間の在宅介護が始まり、小山さんは“パパが生きていて楽しいと思える生活”を大切にした。
「お医者様からは厳しい食事制限マニュアルを渡されましたが、食通の大島が、これでは生き甲斐を失ってしまう。全国のおいしいものを取り寄せ、量を工夫して出しました。するとどんどん体力が回復して、つかまり立ちもできるようになりました」
心掛けたのは、生活にユーモアを取り入れること。
「たとえば大島が自暴自棄になって『死にたい』などと言うときは、『あら死んじゃったら、明日のおいしいビールもご飯も食べられないわね』と明るく返す。元来、大島はユーモアのある人ですから次第に心を和らげ、笑いのある生活が戻りました」
大島監督が亡くなってから6年。今もその存在感は色あせないという。
「介護に悔いはありません。思い返すと結婚生活の3分の1が介護でしたが、尊敬の気持ちが揺らいだことは一度もない。私にそう思わせたことが、彼のすごいところです。
これは大島の存命中から息子たちに言っているのですが、『あなたたちがどんなに偉くなっても、パパにはかないませんよ。パパがいちばん』って。そう言うと、車いすに座ったパパは、恥ずかしそうに笑っていましたね」
小山明子さん/1935年生まれ。1960年に映画監督・大島渚監督と結婚。夫の闘病を機に、介護をテーマにした講演や執筆を中心に活動中。著書に『小山明子のしあわせ日和』(清流出版)などがある。
※女性セブン2019年1月17・24日号