持ち歩くパソコンには落語が3000席
そこからは落語一筋。噺を覚え、毎月のように高座に上がった。2012年には拠点を東京から大阪に移し、以前のようなお笑いはやめ、噺家として充実した日々を送っている。40歳にして突然の転身には計り知れない苦労や不安があったはずだが、「落語ができる嬉しさのほうが勝っていた」と話す。
「正直、嫁と子供が3人いるから金銭面の不安はあったけど、嫁は応援してくれました。やっと見つけた天職。お金やないんです。ただ、30年近くお世話になっている『ガキの使い』だけは別。ダウンタウンさんはお笑い時代の師匠だから、あの番組では子供のままでいたい。でも、番組内での役割も少しずつ変わってきています。昔の僕はほんまに子供やったけど、落語を通して成長した。良くも悪くも、人の内面はふとした仕草や表情に出てしまうもの。ずっと見ている人は、変化を感じているんじゃないでしょうか」
落語の道を選んだとき、「10年で一人前になる」と心に決めた。だが、「まだ半人前」だと自身を評価する。
「振り返ると、一人前のお笑い芸人になるのに20年かかったんです。バラエティ番組ならすぐにでも出られるけど、噺家としてはまだスタート地点。あと10年必死でやり、60歳からの5年間が月亭方正の最盛期。でも、そこから大きく上がっていくことはないし、逆に65歳を過ぎてギラギラしてたら不幸やと思ってます。ようやく人様に聞いていただける噺家になれたのだから、これからどんどん喋らせてもらいたい。今ね、ほんまに毎日が楽しいです」